松花堂昭乗 (しょうかどうしょうじょう)
【概説】
江戸時代初期に活躍した、石清水八幡宮の社僧であり高名な書家・文化人。近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」の一人に数えられる。その書風は「松花堂流」として広く普及したほか、現代の「松花堂弁当」の名称の由来となったことでも知られる。
「寛永の三筆」と和様書道の隆盛
松花堂昭乗は、山城国(現在の京都府八幡市)に鎮座する石清水八幡宮の社僧であり、同宮の坊宇である滝本坊の住職を務めた人物である。彼が生きた江戸初期は、戦国時代の気風が薄れ、朝廷や幕府、知識人たちが新たな文化を形作った「寛永文化」の時代であった。昭乗は、公家の近衛信尹や、多才な芸術家である本阿弥光悦と並び、この時代を代表する高名な書家として「寛永の三筆」に称された。昭乗は空海(弘法大師)の書風を深く研究し、独自の流麗で力強い書風である「松花堂流」(滝本流)を確立した。この書風は実用性と美しさを兼ね備えていたため、江戸時代を通じて武士や庶民の書道の手本(手習い)として広く受容され、日本の書道界に決定的な影響を与えた。
多才な文化交流と「松花堂弁当」のルーツ
昭乗の才能は書道に留まらず、絵画や茶の湯など多岐にわたる分野で発揮された。絵画においては狩野派の絵師である狩野探幽らと交遊し、茶の湯においては大名茶人として知られる小堀遠州や近衛信尋らと深く結びついて、当時の第一流の文化人サロンを形成した。晩年の寛永14年(1637年)には、八幡山に「松花堂」と名付けた草庵を構えて隠居した。現在、我々が口にする「松花堂弁当」は、昭乗が茶会などの際に愛用していた四つ切の木箱(もとは農家が種入れとして用いていた器を昭乗が煙草入れや絵の具箱として再利用したもの)がルーツである。昭和初期に料亭「吉兆」の創始者である湯木貞一が、この器を懐石風の弁当箱として考案・再現したことで、昭乗の名は現代においても広く親しまれ続けている。