朝覲 (ちょうきん)
平安時代~
【概説】
天皇が在位中、実の父母である太上天皇(上皇)や皇太后(女院)のもとへ赴き、対面して拝礼する儀式。中国の儒教道徳における「孝」の思想に基づき、平安時代以降に「朝覲行幸」として国家的な宮廷儀礼へと発展した。
国家儀礼としての「朝覲行幸」と「孝」の理念
朝覲は、古くは律令の規定(儀制令)にも「朝覲の儀」として存在していたが、平安時代中期以降、天皇が内裏を出て父母の御所へと直接赴く朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)として大規模に挙行されるようになった。特に即位後初めて行う朝覲は「一代一度」のきわめて重要な重儀として位置づけられた。
この儀式の背景には、東アジア共通の支配理念である儒教の「孝(親孝行)」の徳目がある。天下を統べる存在である天皇が、自らの親に対して臣下のように身を低くして礼を尽くす姿を可視化することで、自らの王権の道徳的正当性を天下に示す政治的意義を有していた。
院政期における政治的演出と「家」の秩序
平安時代後期に院政が開始されると、朝覲は単なる倫理的儀礼を超えた、生々しい政治的意味を帯びるようになる。実権を握る「治天の君」である上皇(または法皇)に対し、在位の天皇が拝礼することは、王家(皇室)の家長に対する臣従を公式に示すデモンストレーションそのものであった。
また、天皇の母である皇太后(のちには女院)に対する朝覲も盛んに行われ、これによって国母としての権威が高められ、その実家である藤原氏など有力貴族の地位も保障された。このように、朝覲は皇室の「家」のヒエラルキーと権力構造を宮廷社会に再確認させる重要な政治装置として機能したのである。