相撲節会 (すまいのせちえ)
8世紀中頃〜1174年
【概説】
奈良時代から平安時代にかけて、毎年陰暦7月に宮中で催された年中行事。全国から召集された力士たちが天皇の御前で相撲を競い、宮廷貴族らがそれを観覧した。射礼(じゃらい)、騎射(うまゆみ)と並び、朝廷における「三度節(さんちのせちえ)」の一つに数えられる重要な宮中儀礼である。
宮中行事としての確立と「相撲人」の召集
相撲節会は、聖武天皇の時代である天平6年(734年)に催された記録が初見とされる。平安時代に入ると、毎年7月下旬(後に7月7日など)に開催される年中行事として定着した。この行事のために、日本全国(特に東国や西国の諸国)から「相撲人(すまいびと)」と呼ばれる屈強な力士が宮廷に召集された。彼らは左近衛府と右近衛府の管轄下に分けられ、それぞれの陣営を代表して紫宸殿の前庭で勝負に挑んだ。勝敗は単なる個人の栄誉にとどまらず、左右の近衛府の対抗戦という図式をとり、宮廷全体を巻き込む一大イベントであった。
農耕儀礼としての意義と衰退
この節会は単なる娯楽や格闘技の観賞ではなく、秋の収穫期を前にしてその年の五穀豊穣を占う農耕儀礼としての深い信仰的・呪術的意味合いを持っていた。力士たちが大地を踏みしめて戦う姿は、邪気を祓い神を喜ばせる神事そのものであった。しかし、平安時代後期に入ると朝廷の財政が窮迫し、さらに武士の台頭によって宮廷儀礼が徐々に簡素化されていく。承安4年(1174年)の高倉天皇の時代に行われたのを最後に相撲節会は途絶え、以後の相撲は武士たちの鍛錬や、寺社の建立資金を集める勧進相撲へと変容していくこととなる。