灌仏会 (かんぶつえ)
606年~
【概説】
陰暦4月8日の釈迦の誕生日に、誕生仏の像に甘茶や香水をかけて祝う仏教行事。飛鳥時代に中国・朝鮮半島を経て伝来し、平安時代には宮中年中行事として定着した。別名「仏生会(ぶっしょうえ)」や「花まつり」とも呼ばれる。
日本における灌仏会の起源と『日本書紀』の記録
灌仏会は、釈迦が誕生した際に天から竜が現れて香水を注いで産湯とした、というインドの伝説に由来する行事である。日本における最古の記録は、『日本書紀』の推古天皇14年(606年)4月8日条にみられる。この年、推古天皇が詔して元興寺(飛鳥寺)で「設斎(さいをもうけ)」て灌仏を行ったとされており、これが日本における灌仏会の初見とされる。受容初期の日本仏教において、国家や王権の安寧を祈る重要な国家イベントとして位置づけられていたことが伺える。
平安宮廷における年中行事化と民間への普及
平安時代に入ると、灌仏会は宮中の公式な年中行事として整備された。陰暦4月8日には、天皇の日常生活の場である清涼殿の東庭などに「花御堂(はなみどう)」と呼ばれる草花で飾られた小堂が作られ、その中に安置された誕生仏の像に香水(五香水)を注ぐ儀礼が行われた。この宮廷文化としての定着は、平安貴族の仏教信仰の深まりを示すものである。その後、鎌倉時代以降の仏教の庶民化に伴って寺院から民間へと普及し、江戸時代には甘茶を用いる現在の形式が定着した。現代でも「花まつり」として広く親しまれている。