賀茂祭

陰暦4月に行われる京都の賀茂神社の例祭で、牛車などを葵の葉で飾ることから「葵祭」とも呼ばれる祭礼は何か?
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賀茂祭 (かもまつり)

平安時代〜現在

【概説】
陰暦4月中(現在の5月15日)に行われる、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭。平安貴族の間では単に「祭り」と言えばこの賀茂祭を指すほど、王朝社会を代表する国家的行事であった。牛車や参列者の衣冠などを葵の葉で飾る特徴から、後世には「葵祭」の通称でも広く親しまれている。

国家の平穏を祈る「勅祭」としての確立

賀茂祭の起源は古く、6世紀の欽明天皇の時代に、風水害による飢饉を鎮めるために神山に祭礼を行ったことが始まりとされる。平安遷都が成されると、賀茂神社は皇城鎮護(都の守護)の神として朝廷から極めて重視されるようになった。弘仁10年(819年)には嵯峨天皇の宣旨により、国家的な年中行事である勅祭へと格上げされた。さらに、天皇の代理として神に奉仕する皇女(賀茂斎院)が置かれるなど、朝廷の権威と深く結びついた最高格の祭礼として、平安貴族社会に定着していった。

王朝文学にみる「車争い」と貴族たちの社交

華麗な行列が都を練り歩く賀茂祭は、平安貴族たちにとって最大の娯楽であり、格式を示す社交の場でもあった。その熱狂ぶりは王朝文学の傑作『源氏物語』にも描かれており、光源氏の正妻・葵の上と、愛妾である六条御息所の従者たちが、見物のための牛車の駐車場所をめぐって乱闘を起こした「車争い」のエピソードは特に名高い。祭礼で用いられる「葵(あおい)」の葉は、古語の「あふひ(逢う日)」に通じ、神と人、あるいは人と人とが邂逅する信仰的・情緒的な意義も内包しながら、洗練された王朝文化の象徴として受け継がれた。

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最終更新:2026年6月20日 @ 14:54

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