座繰製糸 (ざぐりせいし)
【概説】
江戸時代中期に考案され、明治時代にかけて日本の主要な輸出産業を支えた伝統的な生糸の生産技術。歯車を用いた手回しの座繰器を用い、工女が手作業で湯の中の繭から糸を巻き取る製糸法。
手繰から座繰への技術的発展
江戸時代中期以前の日本の製糸技術は、左手で繭から糸を引き、右手で膝の上で縒り(より)をかける「手繰(たぐり)」が主流であった。この方法は生産効率が低く、糸の太さも不均一になりがちであった。18世紀頃、上野国(現在の群馬県)や信濃国(現在の長野県)などを中心に、歯車(交歯車)とクランク機構を組み合わせた座繰器(ざぐりき)が考案された。これにより、右手でハンドルを回して枠を回転させつつ、左手で均一な糸を巻き取ることが可能になり、生産効率と品質が飛躍的に向上した。
開港と明治期の輸出産業における役割
1859(安政6)年の開港以降、生糸は日本の最大の輸出商品となった。明治政府は富岡製糸場に代表される官営模範工場を設立して西洋式の「器械製糸」の導入を図ったが、高価な設備を必要とする器械製糸はすぐには全国へ普及しなかった。これに対し、安価で農家の副業として導入しやすかった座繰製糸は、明治時代中期に至るまで日本の生糸輸出の主流を占め続けた。特に群馬県や福島県などの養蚕地帯では、座繰製糸が地域経済の基盤となった。
改良座繰と組合製糸の結成
しかし、座繰製糸は個々の農家が手作業で行うため、糸の品質(太さや均一性)にばらつきが生じ、輸出先での価格下落や粗製濫造問題を招いた。これに対処するため、明治10年代以降、動力の一部を共有化したり金属製部品を用いたりした改良座繰が登場した。さらに、個々の農家が引いた生糸を集め、最終的な仕上げ(再繰)や格付け、出荷を共同で行う組合製糸(群馬県の碓氷社や甘楽社など)が組織された。これにより、伝統的な座繰製糸は品質向上を遂げ、大正期に器械製糸にその主役の座を譲るまで、日本の近代化に必要な外貨の獲得に貢献し続けた。