徳川慶喜

1867年に大政奉還を行い、約260年続いた江戸幕府に幕を下ろした第15代将軍は誰か?
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★★★

徳川慶喜 (とくがわよしのぶ)

1837〜1913

【概説】
江戸幕府の第15代にして、最後となる征夷大将軍。
将軍継嗣問題を経て幕末の動乱期に将軍職に就任し、大政奉還という歴史的決断を下して260年余り続いた江戸幕府の幕を引いた。
戊辰戦争においては新政府軍に対して絶対恭順の姿勢を貫き、江戸城無血開城への道筋をつけたことで知られる。

水戸徳川家の出自と将軍継嗣問題

天保8年(1837年)、水戸藩主・徳川斉昭の七男として江戸に生まれる。幼少期から聡明さを高く評価され、弘化4年(1847年)に御三卿の一つである一橋家を相続した。

1850年代後半、第13代将軍・徳川家定の病弱と後継者不在を背景に、次期将軍を巡る激しい政治抗争(将軍継嗣問題)が勃発する。越前藩主・松平慶永や薩摩藩主・島津斉彬ら開明的な諸大名は、難局を乗り切る英明な人物として慶喜を推挙した(一橋派)。しかし、大奥や譜代大名を中心とし、血統を重視して紀伊藩主・徳川慶福(後の家茂)を推す南紀派と激しく対立した。結果的に大老に就任した井伊直弼の強権によって家茂が第14代将軍に決定し、慶喜は安政の大獄で隠居・謹慎処分を受けた。

幕政への復帰と京都での政治工作

万延元年(1860年)の桜田門外の変による井伊直弼の暗殺後、薩摩藩の島津久光による幕政改革の要求(文久の改革)を受け、文久2年(1862年)に慶喜は将軍後見職として政舞台に復帰する。また、京都守護職として会津藩主・松平容保を据え、公武合体の推進を図った。

元治元年(1864年)には禁裏御守衛総督に就任し、朝廷の守護と京都の治安維持の最高責任者となる。同年の禁門の変(蛤御門の変)では、自ら御所に出馬して長州藩兵の撃退を指揮した。この時期の慶喜は、江戸の幕閣とは距離を置きつつ、京都にあって朝廷、諸藩、幕府の間の複雑な権力闘争の中で主導権を握るべく高度な政治手腕を発揮した。

第15代将軍就任と大政奉還の断行

慶応2年(1866年)、第二次長州征討の最中に第14代将軍・家茂が急死する。周囲の強い要請を受け、慶喜は同年12月に第15代征夷大将軍に就任した。就任後はフランス公使ロッシュの支援を仰ぎ、横須賀製鉄所の建設や陸軍の西洋式軍制導入など、強力な中央集権国家を目指した幕政改革(慶応の改革)を推し進めた。

しかし、すでに薩摩藩と長州藩は密かに薩長同盟を結んでおり、倒幕の機運は抑えがたいものとなっていた。武力討幕の危機が迫る中、慶応3年(1867年)10月14日、慶喜は土佐藩の建白を容れる形で大政奉還を断行し、政権を朝廷に返上した。これは単なる降伏ではなく、朝廷には独自の統治能力がないことを見越し、諸侯会議の議長として新たな政治体制下でも徳川家が実質的な主導権を握り続けることを狙った、極めて高度な政治的逆転の策であったと評価されている。

戊辰戦争の勃発と絶対恭順

慶喜の思惑に対し、武力による徳川家の完全排除を目指す薩長側は、同年12月に王政復古の大号令を発し、慶喜の辞官納地(官職の辞任と領地の返上)を命じた。これに反発した旧幕府軍が暴発し、慶応4年(1868年)1月に鳥羽・伏見の戦いが勃発して戊辰戦争の火蓋が切られた。

戦端が開かれたものの、新政府軍に「錦の御旗」が翻り自らが朝敵となったことを知ると、慶喜は戦意を喪失する。軍勢を大坂城に残したまま、側近を連れて海路でひそかに江戸へ退却した。江戸に戻った慶喜は、主戦派の抗戦論を退けて上野の寛永寺で謹慎し、新政府に対して絶対恭順の姿勢を示した。この決断が、勝海舟と西郷隆盛の会談による江戸城無血開城へと繋がり、世界有数の大都市であった江戸の町と人々を戦火から救う歴史的意義をもたらした。

維新後の余生と近代日本への貢献

江戸城開城後、慶喜は水戸を経て駿府(静岡)に移住した。以後は政治の世界から完全に身を引き、写真、狩猟、油絵、自転車など多趣味な隠居生活を送った。明治30年(1897年)に東京へ戻り、翌年には明治天皇との拝謁を果たして名誉を回復する。明治35年(1902年)には公爵を授けられ、貴族院議員にも就任した。

長らく「敵前逃亡した将軍」「幕府を滅ぼした暗君」と否定的な見方をされることも多かったが、現在では、彼の現実主義的な判断と恭順の姿勢があったからこそ、日本は深刻な内戦による国土の荒廃と列強の介入を防ぎ、近代国民国家へと軟着陸できたという肯定的な再評価が定着している。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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