天野遠景

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
天野遠景(Wikipedia)

天野遠景 (あまのとおかげ)

生年不詳〜1203年頃

【概説】
鎌倉時代初期の武将で、源頼朝の挙兵に従った有力な側近。初代の鎮西奉行に任じられ、大宰府を拠点として九州地方の御家人を統括し、初期幕府の西国支配を支えた実務派の御家人である。

頼朝挙兵からの側近としての活躍

天野遠景は伊豆国天野郷(現在の静岡県伊豆の国市)を本拠とした武士である。治承4(1180)年の源頼朝の挙兵当初からこれに従い、山木兼隆襲撃や常陸国の志田義広討伐などで先鋒を務めるなど、頼朝の厚い信任を得ていた。平氏追討や奥州合戦といった東国の覇権確立に関わる主要な戦いにも参戦し、鎌倉幕府の草創期において軍事・実務の両面で重用された。

初代鎮西奉行への就任と九州支配

元暦2(1185)年、平氏が滅亡した直後、頼朝は遠景を鎮西奉行(鎮西守護とも呼ばれる)に任命し、九州へ派遣した。遠景は大宰府に入り、平氏残党の捜索や排除、九州に割拠する在地武士(御家人)の統制、領地をめぐる相論(紛争)の裁決などに従事した。これは、東国を基盤とする鎌倉幕府が、西国への支配力を浸透させていくための極めて重要な試みであり、遠景はその先駆的な役割を担った。のちに任務を終えて鎌倉へ戻り、比企の乱(1203年)前後まで幕府の重臣として活動したとされる。

最終更新:
2026年7月2日 @ 08:05

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