郡司・郷司・保司

高校日本史的重要度

【参考リンク】
郡司(Wikipedia)

郡司・郷司・保司 (ぐんじ・ごうじ・ほうじ)

【概説】
平安時代中期以降の地方(国衙領)において、行政・徴税の単位である郡・郷・保の管理や治安維持を担った実務官職。現地の有力な土地開発者(開発領主)などが国司から任命された。律令制の崩壊にともない、国司による支配体制と在地の領主層を結ぶ要として機能した。

国衙領の再編成と三単位の成立

律令制が機能しなくなった平安時代中期(10世紀以降)、地方支配は戸籍に基づく人身支配から、土地(名田)を対象とした課税支配へと移行した。これに伴い、国内の公領国衙領)は郡(ぐん)・郷(ごう)・保(ほう)という新たな行政・徴税単位へと再編された。「郡」は律令制以来の行政区画を再編したもの、「郷」は郡内の主要地域が独立したもの、「保」は新たに開発された地域や、臨時の免税地などが固定化したものである。これらの各領域の管理者として、国司から郡司・郷司・保司が任命され、領内の徴税や警察・裁判業務にあたった。

在地の支配構造と武士への変貌

郡司・郷司・保司に任命されたのは、現地で荒れ地を切り開いて私領を形成した開発領主(かいはつりょうし)などの有力者であった。彼らは国司の代理人として公領の管理を任される一方で、国司からの過酷な徴税や介入を逃れるため、自らの所領を中央の権門(貴族や寺社)に寄進して荘園とすることも多かった。このような場合、彼らは荘園の現地管理者である「荘官下司・公文など)」に収まり、公領の管理者(郡司等)としての立場と荘園の管理者としての立場を使い分けた。また、領地をめぐる相論や国司との対立に対抗するため、彼らは一族や従卒を武装化させて武士となり、中世の武士団へと成長していくこととなった。

最終更新:
2026年6月16日 @ 06:39

日本史一問一答(ランダム)

Q. 内務省が西洋農学の教育と研究のために東京に設立し、のちに東京帝国大学農科大学へと発展した学校は何か?
Q. 縄文時代の6区分のうち、中期の次にあたり、東日本から西日本への文化の拡散や多様化が見られた時期を何というか?
Q. 漆器の表面に漆で文様を描き、それが乾かないうちに金や銀の粉を蒔きつけて模様を表す、日本独自の工芸技法を何というか。