忍基 (にんき)
生没年不詳
【概説】
唐出身の僧で、鑑真の直弟子。師の不屈の渡日(東征)に同行して来日し、鑑真没後の唐招提寺における伽藍造営に中核として尽力した人物。
鑑真の渡日への同行と師弟の絆
忍基は、唐の揚州大明寺における鑑真の弟子の一人であった。日本に正しい仏教の戒律を伝えるべく、5度にわたる渡海の失敗や失明という過酷な試練に直面する師を、身近で支え続けた。天平勝宝5年(753年)、第12次遣唐使の帰国船に秘密裏に乗船して来日を試みた鑑真に同行し、ついに薩摩国へ上陸して日本の土を踏んだ。この過酷な「東征」に同行した数少ない唐僧の一人として、日本の律宗形成期における先駆的な役割を果たすこととなる。
唐招提寺の創建と伽藍造営への貢献
来日後の鑑真一行は東大寺戒壇院などで受戒を行った後、天平宝字3年(759年)に新田部親王の旧邸宅地を下賜され、唐招提寺(当時は「招提」)を私寺として草創した。天平宝字7年(763年)に鑑真が遷化(入滅)すると、忍基は師の遺志を継承し、寺院としての本格的な伽藍整備に乗り出した。平城宮の東朝集殿を移築して「講堂」へと改造する事業や、僧侶たちの宿房建設などにおいて、忍基は実務の中心となって奔走した。彼らの熱意により、唐招提寺は私的な修行の場から、日本の律宗を代表する総本山へと発展を遂げることとなった。