第1次石油危機(石油ショック)
【概説】
1973年(昭和48年)の第4次中東戦争勃発に伴うアラブ産油国の石油戦略を契機として、原油価格が急騰したことにより日本をはじめとする世界経済が陥った深刻な経済的混乱。日本では「狂乱物価」と呼ばれる異常なインフレーションを引き起こし、戦後の高度経済成長を終焉させる歴史的な転換点となった。
第4次中東戦争とアラブの石油戦略
1973年10月に勃発した第4次中東戦争において、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)はイスラエルを支援する国々に対する原油の禁輸や生産削減を決定し、同時に石油輸出国機構(OPEC)も原油の公示価格を大幅に引き上げた。これにより、1バレル約3ドルであった原油価格は数ヶ月の間に約4倍の11ドル台へと急騰した。安価で潤沢な中東産原油に大きく依存して経済を拡大させていた世界の先進工業国は、深刻なエネルギー危機に直面することとなった。これがいわゆる第1次石油危機(オイルショック)である。
日本社会を襲った「狂乱物価」とパニック
当時の日本は、1971年のニクソン・ショック(ドル・ショック)を乗り越えたものの、田中角栄内閣による「日本列島改造論」ブームや過剰流動性を背景に、すでにインフレーションの兆候が現れていた。そこに原油価格の急騰が直撃したことで物価は異常な高騰を示し、当時の福田赳夫蔵相が「狂乱物価」と名付けるほどの事態となった。
卸売物価や消費者物価が跳ね上がる中、将来の物資不足を懸念した消費者によるトイレットペーパーや洗剤などの買い占め騒動(パニック)が全国各地のスーパーマーケットで発生し、社会不安が蔓延した。事態を重く見た政府は「国民生活安定緊急措置法」や「石油需給適正化法」を制定して価格統制や物資の需給調整を図るとともに、深夜放送の自粛、ネオンサインの消灯、ガソリンスタンドの日曜休業など、官民を挙げた節約・省エネ運動が展開された。
高度経済成長の終焉と安定成長への移行
第1次石油危機は、日本経済に計り知れない打撃を与え、1950年代半ば(神武景気)から約20年にわたって続いた日本の高度経済成長に終止符を打つ決定的な要因となった。1974年(昭和49年)の日本の実質経済成長率は、戦後初となるマイナス成長(マイナス1.2%)を記録し、企業は不況下で物価が上昇するスタグフレーションという困難な状況に直面した。これ以降、日本経済は年率10%前後という驚異的な高度成長の時代を終え、年率4〜5%程度の安定成長期へと移行していくことになる。
産業構造の転換と省エネルギー社会への歩み
この未曾有の危機を教訓として、日本経済はその体質を大きく転換させた。それまでの鉄鋼、石油化学、造船などに代表されるエネルギー多消費型の「重厚長大」産業から、自動車、エレクトロニクス、精密機械などを中心とする知識集約型の「軽薄短小」産業へと産業構造の転換が進められた。
さらに企業は徹底した省エネルギー化や合理化(減量経営)を推進し、政府も代替エネルギーの開発を目指す「サンシャイン計画」などを立ち上げた。これらの血を滲むような努力は結果的に日本企業の国際競争力を飛躍的に高めることとなり、1979年に発生した第2次石油危機においては他国に比べて被害を最小限に食い止め、1980年代における日本経済の世界的躍進へと繋がる重要な契機となったのである。