加賀(かが)
1928〜1942年
軍縮条約と震災による「戦艦」から「空母」への改装
加賀は当初、大正期の軍備拡張計画である「八八艦隊計画」に基づき、加賀型戦艦の1番艦として起工された。しかし、1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により、建造途中で廃艦処分が決定する。転機となったのは1923年の関東大震災であり、空母への改装が予定されていた巡洋戦艦「天城」が震災で大破したため、その代替として「加賀」の空母改装が決定した。1928年の竣工後、数度にわたる近代化改装を経て、日本海軍最大級の航空機搭載能力を持つ大型空母へと変貌を遂げた。
日中戦争から太平洋戦争の開幕、そしてミッドウェー海戦での終焉
空母となった加賀は、1930年代の日中戦争(支那事変)で実戦を経験し、1941年には空母「赤城」とともに第一航空戦隊を編成した。同年12月の真珠湾攻撃に加わって太平洋戦争の幕を開けると、圧倒的な航空攻撃力をもって各地の作戦を牽引した。しかし、1942年6月のミッドウェー海戦において、アメリカ軍急降下爆撃機による奇襲を受け、甲板上の航空燃料や兵装が誘爆して大火災を起こし沈没した。加賀をはじめとする主力空母4隻の喪失は、太平洋戦争における攻守の逆転を決定づける歴史的転換点となった。