農業協同組合法
【概説】
1947(昭和22)年に制定された、農業協同組合(農協)の設立や運営に関する基準を定めた法律。戦後の農地改革によって誕生した多数の自作農を経済的に支え、保護・育成することを目的とした。戦前の官制統制団体を解体し、農民の自主的・民主的な協同組織を確立する法的基盤となった。
農地改革と旧「農業会」の解体
第二次世界大戦中の日本農業は、国家の強い統制下におかれていた。1943年に制定された農業団体法に基づき、地主や農民は官制の統制団体である農業会への加入を義務づけられ、食糧増産や農産物の強制買い上げ、物資の配給などの国策業務を担わされていた。
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指令のもとで推進された農地改革により、寄生地主制が解体されて多くの自作農が創設された。しかし、新たに誕生した自作農の大半は経営規模が極めて小さい零細農家であり、個々の力だけで近代的な農業経営や市場競争に対応することは困難であった。そのため、戦前の特権的・官制的な農業会を解体し、農民自らが主体となって経済的地位の向上を図るための、民主的な新しい協同組織の創設が急務となった。
自主的な協同組合の誕生と役割
こうした背景から、1947年11月に「農業協同組合法」が制定された。この法律は、組合員の自主的な協同組織を通じて農業生産力の増進と農民の社会的・経済的地位の向上を図ることを目指した。同法に基づき、全国の農村に農業協同組合(農協)が組織されることとなった。
農業協同組合法の特徴は、旧農業会のような強制加入や官僚統制を否定し、加入・脱退の自由、組合員一人一票の平等な議決権による民主的運営、そして営利を目的としないことなどを定めた点にある。農協は、農産物の共同出荷や資材の共同購入を行う購買・販売事業、資金の融通を行う信用事業(農協金融)、共済事業などを一体的に行う総合農協として、日本の農村社会に深く根を下ろしていった。
戦後農政における意義と歴史的課題
農業協同組合法によって整備された農協組織は、戦後の混乱期における食糧の安定供給や、零細農家の経営安定に大きく貢献した。また、農政の窓口として機能し、政府による補助金や制度融資、食糧管理制度(食管制度)による米価格の維持などを通じて、農村の生活水準を向上させた。
しかしその一方で、強固な組織力と票田を背景にした政治的な圧力団体化が進み、政府の保護農政と一体化することで、日本の農業構造の近代化や大規模化を遅らせる要因になったという指摘もなされた。後年、農業のグローバル化や担い手不足が進むなかで、農政改革の一環として農協法の改正(中央会の一般社団法人化など)がたびたび議論され、そのあり方は現在も模索され続けている。