旧平価
【概説】
第一次世界大戦前の為替レート(100円=49.85ドル)のまま金本位制に復帰(金解禁)した際の為替評価基準。当時の日本経済の実力(新平価)を無視した割高な円高レートであったため、輸出に壊滅的な大打撃を与え、昭和恐慌を深刻化させる直接的な引き金となった。
旧平価解禁へのこだわりとその背景
明治30年(1897年)の貨幣法制定以来、日本の法定平価は1円=金0.75グラム(対米為替で100円=49.85ドル)と定められていた。第一次世界大戦中に日本は金輸出を禁止(金本位制を一時停止)したが、戦後、欧米諸国が次々と金本位制に復帰するなか、日本でも復帰(金解禁)への機運が高まった。
しかし、当時の日本経済は関東大震災や昭和金融恐慌を経て地盤沈下しており、実質的な為替相場(新平価)は100円=44〜45ドル程度まで下落していた。それにもかかわらず、1929年に組織された濱口雄幸内閣の蔵相井上準之助は、あえて戦前の「旧平価」での金解禁にこだわった。井上は、平価を切り下げる(新平価での解禁)ことは国家の信用を失墜させると考えた。また、あえて割高な旧平価で解禁し、国内の緊縮財政とデフレを誘導することで、非効率な企業を淘汰して産業合理化を断行し、日本経済の体質を根本から改善しようという強い狙いがあった。
世界恐慌とのバッティングと「昭和恐慌」の勃発
1930年1月、満を持して旧平価による金解禁が断行された。しかし、その直前の1929年10月に米国で世界大恐慌が発生しており、実施のタイミングとしては最悪であった。
実態よりもはるかに円高となる「旧平価」での解禁は、世界的な大不況下にあって日本の輸出競争力を致命的に低下させた。とりわけ主要な輸出品であった生糸の対米輸出が激減し、アメリカ市場の閉鎖も手伝って製糸業や農村は壊滅的な打撃を被った(昭和農業恐慌)。また、国内では金流出を防ぐための緊縮財政と利上げが容赦ないデフレを引き起こし、企業倒産や操業短縮が相次いだ。井上蔵相が意図した「身の丈に合った経済改革」は、世界恐慌の荒波と重なったことで最悪の形で裏目に出てしまい、日本経済は未曾有の不況である昭和恐慌へと突き落とされることとなった。この失政は、1931年末の犬養毅内閣による金輸出再禁止、および高橋是清蔵相による実質的な新平価(円安)での管理通貨制度移行への劇的な方針転換を促す契機となった。