戦後恐慌

1920年、第一次世界大戦の終結に伴うヨーロッパの市場復帰と輸出の減少によって、日本を直撃した株価暴落などの経済危機は何か?
カテゴリ:
重要度
★★★

【参考リンク】
戦後恐慌(Wikipedia)

戦後恐慌

1920年

【概説】
1920年(大正9年)、第一次世界大戦後のヨーロッパ諸国の生産力回復に伴い、日本の輸出が激減したことで発生した経済危機。株式市場の暴落を皮切りに生糸や綿糸などの物価が急落し、大戦景気に沸いていた日本経済は深刻な打撃を受けた。これ以降、日本は昭和初期に至るまで慢性的な不況期へと突入することとなる。

第一次世界大戦と空前の「大戦景気」

1914年に勃発した第一次世界大戦は、日本経済に未曾有の好景気をもたらした。ヨーロッパの列強諸国が戦争に忙殺されてアジア市場から後退した隙を突き、日本は中国やインドなどへの輸出を急速に拡大した。さらに、同盟国からの軍需品の注文や、世界的な船舶不足による海運業・造船業の活況も相まって、日本の輸出額は輸入額を大幅に上回るようになった。このいわゆる大戦景気により、日本は明治以来の債務国から一躍債権国へと転換し、工業生産額が農業生産額を上回るなど、資本主義の飛躍的な発展を遂げた。「船成金」や「糸成金」といった新興の富裕層が次々と誕生したのもこの時期である。

ヨーロッパの復興と反動の兆し

しかし、1918年11月に第一次世界大戦が終結すると、戦場となっていたヨーロッパ諸国は徐々に生産力を回復し始めた。イギリスやドイツなどの列強が再びアジア市場に製品を供給するようになると、日本の輸出競争力は急速に失われていった。加えて、アメリカ合衆国が戦後のインフレーションを抑制するために金融引き締め政策を実施し、世界的に貿易が縮小する傾向に転じた。大戦中に過剰な設備投資を行っていた日本の企業は、輸出の激減と過剰生産という二重の苦境に立たされることとなったのである。

1920年の株価大暴落と恐慌の連鎖

経済の急激な収縮は、1920年(大正9年)の春に表面化した。同年3月15日、東京株式市場で株価が突如として大暴落を起こし、取引所は立会いを停止する事態に追い込まれた。このパニックは翌月にかけて全国に波及し、4月には大阪の品貸し市場が休業に追い込まれたほか、第七十四銀行や増田ビルブローカー銀行などが支払停止に陥った。

金融不安は実体経済にも直結し、日本の主力輸出品であった生糸や綿糸の価格が暴落した。とくに生糸価格の暴落は養蚕農家に深刻な打撃を与え、農村部の窮乏を招いた。政府と日本銀行は、シンジケート団を通じて救済融資を行い、企業側も操業短縮(カルテル)などを結んで価格維持に努めたが、根本的な解決には至らなかった。

「慢性不況」の時代への突入と歴史的意義

戦後恐慌の最も重要な歴史的意義は、これが単なる一時的な景気後退ではなく、その後の1920年代における慢性的な不況の端緒となった点にある。政府や日本銀行による手厚い救済融資は、一時的なパニックを沈静化させることには成功したが、本来ならば市場から淘汰されるべき放漫経営の不良企業までも延命させる結果となり、日本経済の抜本的な構造改革を大きく遅らせた。

このようにして企業や銀行の内部に温存された未整理の不良債権は、後の1923年に発生する関東大震災に伴う震災恐慌、そして1927年の金融恐慌へと連鎖していく火種となった。すなわち戦後恐慌は、熱狂的な大正バブルの崩壊を告げる鐘であったと同時に、昭和恐慌に至るまで日本社会を苦しめ続ける長い経済的苦難の幕開けであったといえる。

経済学全集〈5〉日本経済史 (1976年)

日本経済の歩みを先史から高度成長期まで網羅し、時代ごとの変遷を構造的に解き明かす包括的な経済史の基本文献。

大正デモクラシー: シリーズ 日本近現代史 4 (岩波新書 新赤版 1045 シリーズ日本近現代史 4)

大正期の社会変容を背景に、民主化運動から政党政治の確立までを多角的に論じ、近代日本の転換点を鮮やかに描き出す一冊。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 珍島が陥落したのち、三別抄が最後に立てこもって抵抗を続けた朝鮮半島南方の島はどこか?
Q. 寛政の改革における飢饉対策として、松平定信が各大名に対して、石高1万石につき50石の米を倉に備蓄するように命じた制度は何か?
Q. 第一次世界大戦後の中国において、五・四運動などを契機として高まった、不平等条約の打破や関税自主権の回復を求める民族運動を何というか?