全国中等学校優勝野球大会 (ぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)
1915年〜
【概説】
1915年(大正4年)に大阪朝日新聞社の主催により、大阪府豊中市で第1回が開催された中等学校男子硬式野球の全国大会。現在の「全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)」の前身となったスポーツイベント。大正デモクラシー期の都市中間層の台頭やメディア産業の発展を背景に誕生し、日本の学生スポーツ文化の基礎を築いた。
新聞メディアの台頭と大会の誕生背景
大正初期の日本は、都市化の進展や教育普及に伴い、大衆メディア(新聞・雑誌など)が急成長を遂げた時期であった。特に大阪を中心とする新聞社間の競争は激しく、大阪朝日新聞社は部数拡大と社会還元を兼ねたイベントとして、当時の中等学校(旧制中学校や実業学校)の野球部を競わせる全国大会を企画した。これが1915年8月に豊中グラウンドで初開催された「全国中等学校優勝野球大会」である。明治末期に展開された「野球害毒論」などのスポーツ否定論を払拭し、健全な身体育成と規律を重視する「学生野球」のイメージを確立する契機となった。
甲子園への移転と「郷土愛」の国民的エンターテインメント化
大会は開始当初から大きな人気を博し、観客の増加に対応するため、第3回からは兵庫県の鳴尾球場へと会場を移した。さらに1924年(大正13年)、現在の兵庫県西宮市に巨大な甲子園大運動場(現在の阪神甲子園球場)が建設されると、以降は同球場が大会の象徴となった。各地方予選を勝ち抜いた代表校が「郷土の誇り」を背負って戦うシステムは、鉄道網の発達や、後のラジオ放送の開始(1927年)と相まって、地方在住者や都市移住者の郷土愛を刺激し、日本独自の国民的スポーツ文化として定着していくこととなった。