馬淵嘉平

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
馬淵嘉平(Wikipedia)

淵 嘉

「淵」の書き方 「嘉」の書き方

馬淵嘉平 (まぶちかへい)

1794年〜1849年

【概説】
江戸時代後期、土佐藩の天保改革において活躍した中下級藩士。藩政刷新を掲げた改革派グループ「おこぜ組」の首領。藩主の支持を得て一時的に政権を握り財政再建を目指したが、保守派との対立の中で挫折した。

「おこぜ組」の結成と藩政改革への参画

19世紀前半、深刻な財政難にあえぐ土佐藩では、門閥を重視する保守派の政治に対して中下級藩士らの不満が高まっていた。こうした中、馬淵嘉平を中心とする改革志向の強い藩士たちが結集し、のちに「おこぜ組」と呼ばれる政治グループを形成した。この名称は、魚のオコゼが「容姿は醜いが味は非常に良い」とされることに準え、「身分は低いが実務能力に優れている」という自負、あるいは他称に由来する。1843年(天保14年)に開明的な第13代藩主・山内豊熙(とよひろ)が襲封すると、馬淵らは抜擢されて藩政の表舞台に立ち、緊縮財政や文武の奨励、専売制の改革などの天保の藩政改革を推進した。

保守派との抗争と幕末への影響

馬淵ら「おこぜ組」による急進的な改革は、既得権益の維持を諮る門閥派(保守派)との激しい権力闘争を引き起こした。さらに1848年(嘉永元年)、改革の最大の庇護者であった藩主・山内豊熙が急逝したことで「おこぜ組」は後ろ盾を失う。翌1849年、保守派の巻き返しによって馬淵は罷免・処分され、同年に失意のうちに病没した。馬淵らの試みは一時的に挫折したものの、この改革の経験と人脈は、のちに土佐藩の参政として幕末の政局に多大な影響を与える吉田東洋らに継承され、幕末期における土佐藩の近代化と政治的台頭の基礎となった。

最終更新:
2026年8月12日 @ 16:40

日本史一問一答(ランダム)

Q. 水戸道中や長崎街道など、五街道に準ずる重要な幹線道路で勘定奉行などが管轄した道を総称して何と呼ぶか。
Q. 二十一カ条の要求の第一号において、ドイツが持っていた権益を日本が引き継ぐことを中国側に認めさせた地域(省)はどこか?
Q. 三大事件建白運動で掲げられた3つの要求のうち、農村の貧困を救うために税金の負担を下げることを求めた項目は何か?