萩原朔太郎 (はぎわらさくたろう)
【概説】
近代口語自由詩の完成者と評される、大正・昭和期の詩人。処女詩集『月に吠える』などにおいて、話し言葉である「口語」を詩の言語として高度に洗練させ、近代人特有の孤独や神経の衰弱といった内面世界を音楽的に表現した。
『月に吠える』の衝撃と口語自由詩の完成
明治以降の日本における近代詩は、島崎藤村などの文語定型詩から始まり、次第に言文一致の潮流を受けて口語による自由詩へと向かっていった。しかし、初期の口語詩は平易な散文の延長にとどまり、詩としての高い芸術性や音楽性を保持することは困難であった。この課題を極限まで突き詰め、克服したのが萩原朔太郎である。
1917(大正6)年に刊行された第一詩集『月に吠える』は、日常的な話し言葉(口語)を用いながらも、極めて生理的な擬音・リズムを駆使し、独自の音楽性を作り出すことに成功した。朔太郎は、北原白秋の主宰する詩歌壇に参加したのち、生涯の友となる室生犀星と出会い、共同で詩誌『感情』を創刊するなどして独自の詩風を磨いた。彼の登場によって、日本語の口語は単なる事実の伝達手段から、人間の深層心理や病的な感覚をも表現しうる芸術的言語へと高められ、ここに日本の近代口語自由詩が事実上完成したのである。
大正デモクラシー期における「神経の病理」と都市の憂鬱
朔太郎の詩の世界観は、大正時代という時代の空気と密接に結びついている。大正デモクラシーの進展に伴い、個人の「自我」や「個性」が強く意識されるようになった一方で、急激な近代都市化は人々に孤独や疎外感をもたらした。朔太郎が描き出したのは、そうした近代社会のひずみの中で喘ぐ、鋭敏すぎる感性を持った人間の「神経の病理」であった。
『月に吠える』や、それに続く1923(大正12)年の詩集『青猫』で表現されたのは、都会の路地裏を徘徊する猫のような憂鬱(メランコリー)であり、肉体や精神が腐食していくような退廃(デカダン)の美学であった。これは、同時代の知的流行であったニーチェやショーペンハウアーの哲学、あるいは西洋の象徴主義文学に対する深い傾倒とも呼応しており、近代日本が内包していた知識人の精神的危機を最も先鋭的に体現したものといえる。
近代詩壇への影響と文学史的意義
萩原朔太郎の達成した文学的業績は、詩の世界にとどまらず、広く昭和の文学者たちに決定的な影響を与えた。抒情詩人としての道を歩んだ三好達治や、小説において視覚的・心理的描写を極限まで突き詰めた梶井基次郎らは、いずれも朔太郎の詩の世界観や言語感覚に深く私淑していたことで知られる。
晩年の朔太郎は、詩作から次第にアフォリズム(格言・警句)の執筆や、日本回帰とも言える古典的・東洋的な情緒への接近へと関心を移していったが、彼が遺した「言葉によって魂の震えを音楽的に定着させる」という手法は、現代詩の出発点となった。日本史・文学史において朔太郎は、日本の近代詩に精神の「深淵」と「肉声」をもたらした偉大な開拓者として位置づけられている。