旧幕府艦隊 (きゅうばくふかんたい)
1868年〜1869年
【概説】
戊辰戦争の際、榎本武揚率いる旧幕府海軍の将兵が新政府軍への抗戦のために結成した艦隊。江戸城無血開城に反発して品川沖から脱走し、蝦夷地における独自の割拠政権(箱館政権)樹立を軍事的に支える主力戦闘力となった。
品川沖脱走と北方への針路
1868年(慶応4年)4月の江戸城無血開城に際し、徳川宗家の降伏・恭順方針に不満を抱く旧幕府海軍副総裁の榎本武揚は、新政府軍への軍艦引き渡し要請を拒否し続けた。同年8月、榎本は当時の日本で最新鋭の洋式軍艦であった「開陽丸」を旗艦とし、「回天」「蟠竜」「千代田形」など計8隻からなる艦隊を率いて品川沖から脱走した。この艦隊には、幕府の海軍将兵だけでなく、新選組の土方歳三や旧幕府の陸軍兵、さらにはフランス軍事顧問団のジュール・ブリュネらも乗船していた。艦隊は東北地方で奥羽越列藩同盟の支援と敗残兵の収容を行った後、新天地を求めて蝦夷地(北海道)へと北上した。
箱館政権の樹立と艦隊の終焉
蝦夷地に上陸した旧幕府軍は、箱館の五稜郭を占領して「蝦夷共和国(箱館政権)」を樹立し、榎本が総裁に就任した。旧幕府艦隊は、新政府軍の海上からの進攻を防ぐための唯一無二の防衛力であった。しかし、1868年11月、悪天候により主力艦「開陽丸」が江差沖で座礁・沈没するという致命的な打撃を被る。海上権の優位を失った艦隊は、新政府軍が導入した最新鋭の装甲艦「甲鉄」を奪取すべく宮古湾海戦(奇襲作戦)を試みるも失敗に終わった。1869年(明治2年)5月の箱館湾海戦において残る艦船も次々と大破・降伏し、制海権を完全に奪われたことで五稜郭の旧幕府軍は降伏を余儀なくされた。この旧幕府艦隊の壊滅をもって戊辰戦争は終結し、明治新政府による国内統一が完成した。