開陽丸 (かいようまる)
1866年~1868年
【概説】
江戸幕府がオランダに発注して建造した、幕末期における日本最新鋭の木造蒸気フリゲート艦。戊辰戦争の際には榎本武揚率いる旧幕府艦隊の主力を担い蝦夷地へ渡ったが、箱館戦争の最中に江差沖で暴風雨により座礁・沈没した。
幕府海軍の近代化とオランダへの発注
幕末、ペリー来航を契機に海防の危機に直面した江戸幕府は、軍事力の近代化を急いだ。その一環として、1862(文久2)年にオランダの造船所に発注されたのが開陽丸である。造船にあたっては、当時オランダへ留学中であった榎本武揚や沢太郎左衛門らが建造監督や技術習得に携わった。1866(慶応2)年に竣工し、翌年に日本へと回航された開陽丸は、当時の日本が保有する洋式軍艦の中で最大の排水量を誇り、最新鋭のドイツ製クルップ砲などを備えた、まさに幕府海軍の象徴たる主力艦であった。
戊辰戦争での役割と江差沖での沈没
1868年の戊辰戦争勃発後、開陽丸は榎本武揚らに率いられて品川沖を脱出し、新天地を目指して蝦夷地(北海道)へと向かった。旧幕府軍による箱館(五稜郭)の占領と、その後の「蝦夷共和国」政権の樹立において、開陽丸がもたらす海上戦闘力は新政府軍に対する最大の抑止力であった。しかし同年11月、松前藩の残存勢力を制圧するために蝦夷地西海岸の江差沖に出撃した際、急激な暴風雨に遭って座礁し、数日後に沈没した。この絶対的守護神であった開陽丸の喪失は、旧幕府軍から制海権を奪うこととなり、翌1869年の箱館戦争敗北と戊辰戦争終結を決定づける致命的な転換点となった。