蝦夷共和国 (えぞきょうわこく)
【概説】
戊辰戦争期に、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚らが蝦夷地(北海道)に樹立した事実上の独立政権。日本史上初の「入札」(選挙)による閣僚選出を行ったことで知られ、旧幕臣の救済と北辺開拓を目指したが、新政府軍の総攻撃を受けて短期間で崩壊した。
旧幕臣の北走と「蝦夷政権」の樹立
1868年(明治元年)8月、徳川宗家に対する新政府の処遇(駿府藩70万石への減封)に不満を抱く旧幕府海軍副総裁の榎本武揚は、開陽丸をはじめとする旧幕府艦隊を率いて品川沖を脱出した。道中で旧幕臣や新選組などの残党、さらには奥羽越列藩同盟の敗残兵を吸収しながら北上し、同年10月に蝦夷地(北海道)の鷲ノ木に上陸した。榎本らは、新政府側の拠点であった箱館(五稜郭)や松前藩の城郭をまたたく間に占領し、蝦夷地一帯を制圧した。
同年12月、新政権の体制を整えるため、入札(投票)による閣僚選挙が実施された。この選挙は士官以上の階級による制限選挙であったが、結果として最高得票を得た榎本武揚が「総裁」に、松平太郎が「副総裁」に選出され、日本初の近代的な選挙による民主的政権(後世に蝦夷共和国、あるいは箱館政権と通称される)が誕生した。彼らは、新政府の支配から離れた場所で旧幕臣に開拓の道を与え、同時にロシアに対する北辺の防備を固めるという、天皇(朝廷)への臣節を崩さない形での「徳川家臣による蝦夷地開拓」の公認を新政府に求めた。
国際関係と箱館戦争の終結
蝦夷共和国の特筆すべき点として、高度な外交交渉が挙げられる。榎本らは箱館に駐留するイギリスやフランスの軍艦に対し、自らを「交戦団体」として認めるよう交渉した。列強側は正式な政府としては承認しなかったものの、事実上の局外中立を宣言したため、政権は一時的に国際法上の準国家的な地位を獲得することに成功した。特にフランスは旧幕府の軍事顧問団(ブリュネら)を派遣しており、彼らは政権の軍事組織の構築や要塞化に深く関与した。
しかし、明治新政府はこれを断固として認めず、1869年(明治2年)春、最新鋭の甲鉄艦を含む大艦隊と陸軍を蝦夷地へ派遣した(箱館戦争)。すでに海上戦力の中核であった開陽丸を暴風雨で失っていた榎本軍は、新政府軍の圧倒的な物量と近代兵器の前に劣勢を強いられた。新政府軍の参謀・黒田清隆らの猛攻により、政権の拠点である五稜郭は包囲され、同年5月に榎本らが降伏して政権は崩壊した。これにより、戊辰戦争は完全に終結し、明治新政府による日本全土の統一が完成することとなった。なお、榎本らの高い技術力と学識を惜しんだ黒田清隆らの助命嘆願により、榎本は後に赦免され、明治政府の外交官や大臣を歴任する優秀な官僚として活躍することになる。