議事之体大意 (ぎじのていだいたい)
【概説】
福井藩出身の由利公正が起草した、明治新政府の基本方針「五箇条の誓文」の最初の原案。庶民を含む広範な合意形成や挙国一致による近代国家の建設を目指した、維新期の進歩的な政治構想を示す歴史的史料である。
五箇条の誓文へ至る推敲過程と「議事之体大意」
1868(慶応4)年3月に明治天皇が神前で誓った「五箇条の誓文」は、新政府の基本方針として有名であるが、これは一朝一夕に作られたものではなく、複数の政治家による推敲を経て完成した。その最初期段階の原案となったのが、同年1月に由利公正(三岡八郎)が起草したこの「議事之体大意」である。
由利の起草した全5箇条の原案は、その後に土佐藩出身の福岡孝弟によって参議院の設置構想などを加味した「議事擬律(国体擬律)」へと改訂され、最終的に長州藩の木戸孝允がより普遍的かつ格調高い表現へと修正を施すことで、最終的な「五箇条の誓文」が誕生した。したがって、「議事之体大意」は近代日本の民主的政治姿勢や議会政治の思想的源流に位置づけられる極めて重要な出発点であるといえる。
「士民一和」と庶民重視の歴史的意義
「議事之体大意」の最大の特徴は、従来の封建的特権階級であった武士だけでなく、広く庶民をも政治や経済の主体として巻き込もうとした点にある。由利案の第1条には「庶民志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを欲す」とあり、第2条には「士民心を一にし、盛に経綸を行ふを要す」と記されている。ここで使われている「士民」という言葉は、武士と庶民を一体として捉えたものであり、階級を超えた「士民一和」による挙国一致体制の構築を企図していた。
こうした由利の構想は、坂本龍馬の「船中八策」や、由利の師である横井小楠の開国論・富国論に強く影響されたものであった。伝統的な身分制の垣根を取り払い、国民全体のエネルギーを近代国家建設に動員しようとしたこの原案は、明治維新が持っていた革新性と、新たな時代への模索を鮮明に体現している。