在華紡

日本の紡績資本が、中国の安い労働力と豊かな市場を狙って、上海などの中国国内に直接建設した紡績工場(企業)の総称を何というか?
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重要度
★★

【参考リンク】
在華紡(Wikipedia)

在華紡 (ざいかぼう)

1910年代〜1930年代

【概説】
日本の紡績企業が、中国(主に上海や青島)に直接進出して建設した紡績工場、およびそれらを経営する日系資本の総称。関税障壁を回避し、現地の安価な労働力を利用した、近代日本における「資本輸出」の代表例である。

中国進出の背景と「資本輸出」の展開

明治末期から大正期にかけて、日本の綿糸紡績業は飛躍的な発展を遂げ、主要な輸出産業へと成長した。しかし、中国におけるナショナリズムの勃興に伴い、1910年代以降、中国(中華民国政府)は輸入綿製品に対する関税の引き上げを画策するようになった。これにより、日本国内で生産して中国へ輸出する従来の貿易方式では、将来的に競争力を維持することが困難になると予想された。これに対抗するため、日本の大手紡績資本(鐘淵紡績や東洋紡績、内外綿など)は、製品の輸出から資本の輸出へと方針を転換し、中国現地に直接工場を建設する「在華紡」の展開を本格化させた。

在華紡が中国の上海や青島に集中した背景には、関税回避のほかにも大きなメリットが存在した。中国現地の極めて安価な労働力(特に女性や児童)を酷使できたこと、原料となる中国綿花を現地で直接安く調達できたこと、そして広大な中国国内市場に隣接しているという圧倒的なコスト優位性があったことである。特に第一次世界大戦による「大戦景気」を契機に、日本の独占資本は莫大な蓄積資金を背景として、中国での現地生産体制を急速に拡大させていった。

中国民族資本との対立と反日運動の激化

在華紡の急成長は、中国独自の民族資本による紡績業(民族工業)にとって多大な脅威となった。圧倒的な資本力と最新の近代技術を有する日系在華紡は、中国の国内市場において支配的な地位を占めるようになり、中国の自立的な産業発展を阻害する要因となった。このため在華紡は、日本の帝国主義による経済的侵略の象徴として、中国の知識人や労働者から強い批判を浴びるようになっていく。

さらに、在華紡の工場内における中国人労働者への過酷な労働条件や民族的差別、低賃金に対する不満が蓄積し、1920年代に入ると労働争議が頻発した。1925年5月には、上海の日系紡績企業である内外綿の工場で発生したストライキに対し、工場側が発砲して中国人労働者が射殺される事件が発生した。この事件に抗議する学生や労働者のデモに対し、租界を管理するイギリス警察が再び発砲したことで、事態は爆発的に悪化した。これが中国全土を揺るがした反帝国主義運動である五・三〇事件へと発展し、在華紡は激しい労働運動と日貨排斥(日本製品ボイコット)の最大の標的となったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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