第4次日露協約
【概説】
第一次世界大戦中の1916年に、日本とロシア帝国の間で締結された4度目の協定。中国における日露両国の特殊権益を相互に保障し、アメリカやドイツなど第三国の進出に対抗することを目的とした事実上の軍事同盟。
背景:第一次世界大戦と東アジア情勢の激変
日露戦争の終結後、日本とロシア帝国はそれまでの対立関係から協調路線へと転換した。両国は1907年の第1次から1912年の第3次にわたる日露協約を通じて、満州(中国東北部)や内蒙古におけるそれぞれの勢力圏(権益)を相互に承認し合っていた。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、東アジアの国際秩序は大きく揺らいだ。日本は日英同盟を口実に参戦し、ドイツ領であった山東半島の租借地や南洋諸島を占領。さらに1915年には中国の袁世凱政府に対して対華二十一条要求を突きつけ、中国における権益を急速に拡大した。これに対して、大戦に不介入の立場をとっていたアメリカ合衆国は、中国の「門戸開放・機会均等」を掲げて日本の独走に強い不満と警戒感を示すようになった。一方のロシアは、欧州の東部戦線でドイツとの激戦に追われており、極東の安定と日本からの軍需物資の供給を強く望んでいた。このような両国の利害の一致と、アメリカへの共通の警戒感が、さらなる日露の接近を生む契機となった。
内容:秘密協定による「事実上の軍事同盟」への昇華
1916年7月3日、ペトログラード(現サンクトペテルブルク)において、日本の本野一郎駐露大使とロシアの外相サゾーノフの間で第4次日露協約が調印された。この協約は、一般に公表された「公文」と、非公開の「秘密協定」の二本立てで構成されていた。
公開文では、東アジアにおける両国の領土権や特殊権益を保護するため、他方の同意なしに第三国と政治的協定を結ばないこと、および権益が脅かされた場合には共同の措置をとるための協議を行うことが合意された。しかし、真に重要だったのは秘密協定である。そこでは、中国が日露両国に対して敵対的な「第三国」(具体的にはアメリカやドイツを想定)の支配下に入るのを防ぐため、両国が共同で軍事行動を起こすことが義務付けられていた。これにより、これまでの利害調整の場であった日露協約は、特定の第三国を標的とした事実上の軍事同盟へと発展を遂げたのである。
結末:ロシア革命による同盟の瓦解と秘密の暴露
第4次日露協約の締結により、日本は中国における権益をロシアに承認させ、アメリカの干渉を排除する強力な後ろ盾を得た。これによって日本の大陸進出は法的に担保され、優位な立場を確立したかに見えた。
しかし、この同盟関係は極めて短命に終わる。翌1917年、ロシア国内でロシア革命(二月革命・十月革命)が勃発し、ロマノフ朝の帝国が崩壊してレーニン率いるソヴィエト政権(ボリシェヴィキ)が誕生した。ソヴィエト政権は、帝国主義戦争の即時停止を訴えるとともに、旧帝政期に結ばれた秘密外交の全貌を世界に暴露した。この中に第4次日露協約の秘密協定も含まれており、日本の火事場泥棒的な大陸政策と日露の軍事同盟の全貌が白日の下にさらされることとなった。ソヴィエト政権が一方的にすべての秘密条約の無効を宣言したため、協約は完全に失効。日本はその後、シベリア出兵に踏み切るなど、一転してソ連との激しい対立の時代を迎えることとなった。