電話
【概説】
1890(明治23)年に東京・横浜間で日本初の交換業務が開始された、近代的な音声通信技術。明治政府の殖産興業および富国強兵政策の一環として整備され、情報伝達の速度を劇的に向上させた国家インフラである。
官営事業としての導入と初の電話交換業務
日本における電話の歴史は、1877(明治10)年に工部省がベル式電話機を輸入し、実験を行ったことに始まる。これは、アメリカでグラハム・ベルが電話の特許を取得した翌年のことであった。しかし、当時の明治政府は西南戦争の戦費調達や、先行して全国展開を進めていた電信(モールス符号による通信)の整備を優先したため、電話の事業化は後回しとなった。
その後、1890(明治23)年にいたって、逓信省のもとでようやく東京・横浜間、および両市内で日本初の電話交換業務が開始された。開始当初の加入者は東京で237件、横浜で44件にすぎず、高額な加入金や通話料のため、利用者は官公庁や大商社、新聞社などの一部の特権層に限定されていた。
産業発展・対外戦争と電話網の急速な拡張
1890年代後半から日本が産業革命期に入ると、商業取引の迅速化を求める経済界から電話の増設要求が強まった。また、日清戦争(1894〜95年)および日露戦争(1904〜05年)の勃発は、軍事通信としての電話の重要性を決定づけた。政府はこれに対応するため、数次にわたる「電話拡張事業」を展開し、主要都市間を結ぶ長距離回線の敷設を急ピッチで進めた。
電信が文字をコード化して送受信するのに対し、電話は人間の「声」を直接かつ双方向で瞬時に伝えることができた。この即時性は、相場取引や軍事命令の伝達において圧倒的な優位性を持ち、近代日本の経済成長と軍事力強化を陰から支える存在となった。
近代社会への変革と「電話交換手」の誕生
電話の普及は、日本の社会構造や労働環境にも新しい風を吹き込んだ。当時の電話接続は、交換局のオペレーターが手作業でプラグを差し替える手動交換方式であった。この交換業務に女性が雇用されたことで、「電話交換手」という近代的な職業婦人が誕生した。
交換手は夜勤もある激務であったが、自立して働く女性の先駆けとして社会的に注目を集めた。明治後期から大正時代にかけて、電話は街頭の「自働電話(のちの公衆電話)」を通じて一般民衆にも身近なものとなり、近代都市文化を象徴する重要なコミュニケーションメディアへと成長していった。