国民主権(主権在民)

日本国憲法の三大原則の一つで、天皇ではなく国民が国家の最終的な意思決定権を持つという原則は何か?
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【参考リンク】
国民主権(Wikipedia)

国民主権(主権在民)

【概説】
日本国憲法の三大原則の一つで、国の政治のあり方を最終的に決定する権力は国民に存するという原則。大日本帝国憲法における天皇主権体制から根本的な転換を果たし、戦後日本の民主主義国家としての基盤を確立した。

大日本帝国憲法下の「天皇主権」

近代日本の最初の本格的な憲法である大日本帝国憲法(明治憲法)においては、国家の統治権(主権)は天皇に総攬されると定められていた(天皇主権または主権在君)。天皇は神聖不可侵の絶対的な存在とされ、国民は天皇の「臣民」として位置づけられており、権利や自由は法律の範囲内でのみ認められる限定的なものであった。

大正デモクラシー期には、美濃部達吉らによって国家を法人とし天皇をその最高機関とする「天皇機関説」が唱えられ、政党政治の理論的支柱となった。しかし、昭和期に入り軍部や右翼勢力が台頭すると、天皇の絶対性を強調する国体明徴運動が激化し、立憲主義的な解釈は排斥されていった。この天皇主権を頂点とする国家体制(国体)は、1945年の太平洋戦争の敗戦まで続くこととなる。

ポツダム宣言の受諾と主権の転換

1945(昭和20)年8月、日本政府は連合国側の要求であるポツダム宣言を受諾し、降伏した。ポツダム宣言は日本における軍国主義の排除とともに、民主主義的傾向の復活強化と基本的人権の確立、そして「国民の自由なる意思」に基づく政府の樹立を求めていた。これは必然的に、従来の天皇主権からの脱却を意味していた。

戦後の憲法改正作業において、幣原喜重郎内閣に設けられた憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)は、依然として天皇主権を維持した微温的な改正案(松本草案)をまとめた。しかし、民主化を徹底したい連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)はこれを拒否し、国民主権を明記したマッカーサー草案を日本政府に提示した。帝国議会における新憲法の審議では、国体(天皇を主権者とする国家体制)が変更されたのか否かをめぐって激しい論争が交わされたが、最終的に政府は主権が国民に移行したことを認め、国民主権の原理が確定することとなった。

日本国憲法における国民主権と象徴天皇制

1946(昭和21)年に公布された日本国憲法は、その前文において「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と高らかに謳っている。国民主権は、「基本的人権の尊重」「平和主義」とともに、新憲法を支える三大原則の不可欠な柱となった。

主権が国民へと移ったことに伴い、天皇の地位は根本的に変更された。憲法第1条は、天皇を日本国および日本国民統合の「象徴」と定め、その地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」と明記している。かつての絶対的な主権者であった天皇は国政に関する権能を一切持たず、内閣の助言と承認に基づく形式的・儀礼的な国事行為のみを行う存在へと移行した(象徴天皇制)。

主権行使の形態:代表民主制と直接民主制

日本国憲法において、国民が主権を行使する基本的な枠組みとして採用されているのが代表民主制(間接民主制)である。憲法前文に「国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある通り、国民は選挙を通じて自らの代表者を議会に送り、その代表者が集う国会を「国権の最高機関」と位置づけることで、国民の意思を国政に反映させる仕組みをとっている。

一方で、国民が直接政治的な決定に関与する直接民主制的要素も補完的に取り入れられている。国会が発議した憲法改正案に対する国民投票(第96条)、最高裁判所裁判官に対する国民審査(第79条)、および特定の地方公共団体のみに適用される特別法を制定する際の住民投票(第95条)がこれに該当する。これらの制度は、主権者である国民が国家の最終的な意思決定権を直接行使する重要な機会として保障されている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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