クラーク

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】

クラーク

1826〜1886

【概説】
明治初期に札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭として招聘されたアメリカ人の教育者・科学者。わずか8か月ほどの滞在期間中にキリスト教精神に基づく自由な教育を実践し、「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious)」の名言とともに、近代日本の指導者となる多くの優秀な人材を育成した代表的なお雇い外国人。

開拓使政策と札幌農学校への招聘

明治政府は、ロシアに対する防備と未開地の開発を目的に、北海道の開拓を急務としていた。1869年に設置された開拓使は、アメリカの近代的な農業技術や制度を導入するため、開拓使顧問としてホーレス・ケプロンを招いた。ケプロンの提言により、開拓を担う指導的技術者を養成する高等教育機関として、1876年に札幌農学校が設立された。

この札幌農学校の基礎づくりのために、初代教頭(実質的な最高責任者)として招聘されたのが、当時アメリカのマサチューセッツ農科大学の学長であったウィリアム・スミス・クラークであった。クラークは植物学や化学の専門家であり、実践的な科学教育を重んじる人物であった。

「紳士たれ」の精神と独自の全人教育

クラークは札幌農学校において、細かな規則で学生を縛ることを嫌い、ただ「紳士たれ(Be gentleman)」という一言のみを校則とした。学生たちの自律性を重んじるこの方針は、明治初期の厳格な官僚養成教育とは一線を画すものであった。

また、クラークは自然科学の講義だけでなく、聖書を用いた道徳教育も行い、学生たちにキリスト教精神を植え付けた。彼の熱心な伝道により、1期生の佐藤昌介(のちの北海道帝国大学初代総長)らは「イエスを信ずる者の誓約」に署名した。クラークの帰国後に2期生として入学した内村鑑三や新渡戸稲造、宮部金吾らもこの誓約書に署名し、彼らはのちに「札幌バンド」と呼ばれる有力なプロテスタント信徒集団を形成して、日本の思想・教育界に計り知れない足跡を残すこととなった。

「大志」の遺産と歴史的意義

1877年4月、わずか8か月の任期を終えて札幌を去る際、見送りに来た教え子たちに向けて放ったとされる「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious)」という言葉は、日本の近代化を象徴する名言として今なお広く知られている。

クラークがもたらした自由で先駆的な教育システムは、札幌農学校を単なる農業技術者の養成機関にとどめず、国際的視野を持った知識人を多数輩出する梁山泊へと変貌させた。明治政府のお雇い外国人政策における最も成功した事例の一つであり、北海道の地域開発と近代日本の精神的土壌の形成の双方において、クラークが果たした役割は極めて大きい。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:29

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1999年、改定された日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)の実効性を確保するために制定された、周辺事態法などの関連法案を総称して何というか?
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