お雇い外国人 (おやといがいこくじん)
【概説】
明治政府が、西洋の近代的な学問・技術・法制度を導入し、富国強兵や殖産興業を推進するために高給で雇用した外国人の技術者や学者のこと。幕末期から雇用は始まっていたが、明治初期に急増し、日本の近代化に多大な貢献を果たした。しかし財政負担の重さから、日本人の人材育成が進むにつれて次第に契約を解除され、日本人へと代替されていった。
近代化に向けた導入の背景と目的
明治維新を果たした新政府にとって、欧米列強に肩を並べるための富国強兵と殖産興業は喫緊の課題であった。また、幕末に結ばれた不平等条約の改正を達成するためには、欧米から「近代国家」として認められるだけの法制度や教育制度の整備が不可欠であった。しかし当時の日本には、西洋の最新技術や学問に精通した人材が圧倒的に不足していた。
そこで政府は、欧米各国から各分野の第一線で活躍する専門家を直接招聘し、近代国家建設の指導にあたらせる方針をとった。これがお雇い外国人である。外国人の雇用自体は幕末期の江戸幕府(フランスの軍事顧問団や横須賀製鉄所のヴェルニーなど)や諸藩によってすでに始まっていたが、明治政府のもとで国家的なプロジェクトとして大規模に展開されることとなった。
多岐にわたる活躍分野と代表的人物
お雇い外国人の専門分野は、土木・建築・鉄道などのインフラ整備から、軍事、法律、教育、医学、芸術に至るまで極めて多岐にわたった。出身国も様々であり、政府は「法学はフランス、医学はドイツ、海軍はイギリス」といったように、分野ごとに当時最も進んでいるとされた国から意図的に人材を選定した。
例えば、イギリスからは鉄道建設を指導したエドモンド・モレルや、工部美術学校で西洋建築を教えたジョサイア・コンドルなどが招聘された。法整備の分野では、フランスのボアソナードが民法や刑法の起草にあたり、ドイツのロエスレルは大日本帝国憲法や商法の制定に深く関与した。
また、教育・学術分野では、札幌農学校の教頭として赴任し「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」の言葉で知られるアメリカのクラークや、大森貝塚を発見して日本の近代動物学・考古学の基礎を築いたモースなどが活躍した。医学分野ではドイツのベルツが招請され、美術分野では日本美術の復興に尽力したアメリカのフェノロサや、西洋画を指導したイタリアのフォンタネージなどが有名である。
莫大な財政負担と日本人への移行
お雇い外国人は日本の近代化に計り知れない貢献をした一方で、その待遇は破格であり、明治政府にとって極めて重い財政負担となっていた。彼らの月給は数百円から千円を超えることもあり、これは当時の政府高官(太政大臣や参議など)の給与と同等かそれ以上であった。工部省や文部省などの一部の省庁では、予算の半分近くがお雇い外国人の給料に消えることもあったという。
そのため政府は、お雇い外国人の指導の下で日本人留学生の海外派遣や、国内の高等教育機関(東京大学など)の整備を急ピッチで進めた。コンドルに学んだ建築家の辰野金吾などに代表されるように、彼らのもとで直接学んだ日本人学生が育ち、西洋の技術や知識を完全に吸収していくと、1880年代後半以降、お雇い外国人は徐々に契約を解除されていった。そして、各分野の実務や指導は、育成された日本人の専門家へと急速に置き換えられていったのである。
歴史的意義
お雇い外国人は、単なる技術や制度の移転にとどまらず、西洋の近代的な精神や文化、学問体系そのものを日本に移植する役割を果たした。彼らが蒔いた種は、後に各分野で活躍する日本人エリートたちによって花開き、日本が非西洋世界でいち早く近代化を成し遂げ、独立を維持する原動力となった。その功績は、日本の近代史において極めて重要な位置を占めている。