旧幕府(旧幕府軍) (きゅうばくふぐん)
【概説】
戊辰戦争において、薩摩藩・長州藩らを中心とする明治新政府軍に対抗して戦った、旧徳川幕府の家臣や佐幕派諸藩の連合軍。大政奉還や王政復古の大号令によって政治権力を喪失した徳川方を支持し、近代的な軍備やフランス軍事顧問の支援を得て各地で戦闘を展開した。徳川慶喜の恭順後も東日本から蝦夷地へと転戦し、約1年半にわたり徹底抗戦を続けた。
鳥羽・伏見の戦いと「朝敵」への転落
1867年の大政奉還に続く「王政復古の大号令」により、実質的に権力を剥奪された徳川慶喜および旧幕府側は、新政府の進める強硬な排除方針に強く反発した。1868年1月、京都へ向けて進軍する旧幕府軍(主に会津藩・桑名藩の兵や幕府歩兵隊)と、新政府軍(薩摩・長州両藩兵)が京都郊外で衝突し、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。数において勝る旧幕府軍であったが、新政府軍が「錦の御旗」を掲げたことで「朝敵(賊軍)」の汚名を着せられ、精神的動揺から敗退を余儀なくされた。さらに、大坂城にいた徳川慶喜が夜陰に乗じて江戸へ脱出したため、軍は統制を失い瓦解した。
東日本への転戦と奥羽越列藩同盟の結成
江戸へ逃れた徳川慶喜が恭順の意を示し、江戸城が無血開城された後も、主戦派の旧幕臣や佐幕派諸藩は降伏を拒絶した。彰義隊による上野の戦争、大鳥圭介率いる伝習隊や土方歳三率いる新選組らによる北関東での局地戦が展開される一方、戦火は東北・北陸へと拡大していった。新政府の過酷な処分に反発した東北・越後の31藩は奥羽越列藩同盟を結成し、近代的な近代兵器(ガトリング砲など)を用いて新政府軍の進撃を阻んだ。しかし、長岡藩の陥落や、同盟の中心であった会津藩の降伏(会津戦争)により、東北における抵抗線は崩壊した。
蝦夷地への脱出と箱館「共和国」の終焉
本州での敗色が濃厚となる中、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚は、開陽丸をはじめとする近代軍艦を率いて品川沖を脱出。東北から合流した旧幕臣や新選組の残党を乗せて蝦夷地(北海道)へ渡った。彼らは箱館の五稜郭を占拠し、士官以上の入札(選挙)によって榎本を総裁とする事実上の独立政権(通称「蝦夷共和国」)を樹立した。フランス軍事顧問団のジュール・ブリュネらも加わり、新政府軍を迎え撃つ防御陣を敷いたが、1869年5月の箱館戦争によって完全に制圧され、榎本らは降伏した。この旧幕府軍の消滅をもって、戊辰戦争は完全に終結し、新政府による日本統一が完成することとなった。