古沢滋 (ふるさわしげる)
【概説】
明治時代の官僚、政治運動家。土佐藩出身で、イギリス留学で培った欧米の先進的な政治思想をもとに、初期の自由民権運動を理論的に支えた人物。板垣退助らとともに我が国初の国会開設運動の端緒となる「民撰議院設立の建白書」を共同起草したことで知られる。
英国留学と欧米政治思想の受容
古沢滋は幕末の土佐藩に生まれ、明治維新直後の1870年(明治3年)に藩費留学生としてイギリスへ渡った。数年間にわたる滞在中に、イギリスの議会政治や自由主義、天賦人権思想に深く触れ、近代国家における民意の反映の重要性を学んだ。この留学経験で得た知見は、帰国後、当時遅れていた日本の政治体制を批判し、新たなる国家構想を提示するための強力な理論的武器となった。
「民撰議院設立の建白書」の起草
1873年(明治6年)に帰国した古沢は、明治六年の政変(征韓論争)によって下野した板垣退助や後藤象二郎、江藤新平らと結んだ。彼らは1874年1月、日本初の政治結社である愛国公党を結成。古沢は、同じく英国留学経験を持つ小室信介とともに、藩閥による専制政治を批判して公選の議会開設を求める「民撰議院設立の建白書」の実質的な起草を担当した。古沢が西洋の知見をもとに書き上げたこの建白書は、新聞に掲載されることで世論に大きな衝撃を与え、のちの自由民権運動を巻き起こす直接的な契機となった。
言論活動から官僚への転身
建白書提出ののちは、ジャーナリストとして『大阪日報』などの主筆を務め、筆誅を振るって自由民権の普及に努めた。しかし、運動が過激化・大衆化していく過程で、古沢は漸進的な立憲制への移行を望むようになり、次第に自由民権運動の主流派とは距離を置くようになった。その後は明治政府の官僚へと復帰し、内務省の参事官をはじめ、奈良県知事、石川県知事、山口県知事などの要職を歴任。最終的には貴族院議員に勅選され、晩年は明治国家の体制構築に尽力した。