古沢滋

イギリス留学の経験を持ち、板垣退助らの命を受けて「民撰議院設立の建白書」を実際に起草した土佐出身の人物は誰か?
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古沢滋(Wikipedia)

古沢滋 (ふるさわしげる)

1847年〜1911年

【概説】
明治時代の官僚、政治運動家。土佐藩出身で、イギリス留学で培った欧米の先進的な政治思想をもとに、初期の自由民権運動を理論的に支えた人物。板垣退助らとともに我が国初の国会開設運動の端緒となる「民撰議院設立の建白書」を共同起草したことで知られる。

英国留学と欧米政治思想の受容

古沢滋は幕末の土佐藩に生まれ、明治維新直後の1870年(明治3年)に藩費留学生としてイギリスへ渡った。数年間にわたる滞在中に、イギリスの議会政治や自由主義、天賦人権思想に深く触れ、近代国家における民意の反映の重要性を学んだ。この留学経験で得た知見は、帰国後、当時遅れていた日本の政治体制を批判し、新たなる国家構想を提示するための強力な理論的武器となった。

「民撰議院設立の建白書」の起草

1873年(明治6年)に帰国した古沢は、明治六年の政変(征韓論争)によって下野した板垣退助や後藤象二郎、江藤新平らと結んだ。彼らは1874年1月、日本初の政治結社である愛国公党を結成。古沢は、同じく英国留学経験を持つ小室信介とともに、藩閥による専制政治を批判して公選の議会開設を求める「民撰議院設立の建白書」の実質的な起草を担当した。古沢が西洋の知見をもとに書き上げたこの建白書は、新聞に掲載されることで世論に大きな衝撃を与え、のちの自由民権運動を巻き起こす直接的な契機となった。

言論活動から官僚への転身

建白書提出ののちは、ジャーナリストとして『大阪日報』などの主筆を務め、筆誅を振るって自由民権の普及に努めた。しかし、運動が過激化・大衆化していく過程で、古沢は漸進的な立憲制への移行を望むようになり、次第に自由民権運動の主流派とは距離を置くようになった。その後は明治政府の官僚へと復帰し、内務省の参事官をはじめ、奈良県知事、石川県知事、山口県知事などの要職を歴任。最終的には貴族院議員に勅選され、晩年は明治国家の体制構築に尽力した。

明治維新と自由民権

激動の明治期における政治変革のダイナミズムを構造的に解明する歴史的考察の書。

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)

明治という時代が抱いた民主化への理想と、その挫折の軌跡を辿る現代必読の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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