治安警察法第5条

治安警察法において、女性や未成年者、教員などが政治集会に参加することや政治結社に加入することを禁止したのは第何条か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
治安警察法(Wikipedia)

治安警察法第5条

1900年〜1945年

【概説】
1900年(明治33年)に制定された治安警察法において、特定の階層の政治活動を厳しく制限した規定。女性、未成年者(学生・生徒)、軍人・警察官、宗教者などの政治結社への加入や、政治集会への参加・発起を禁止した。特に近代日本における女性の政治的・社会的権利を著しく抑圧した条項として知られる。

治安警察法第5条の制定背景と制限対象

1900年、第2次山県有朋内閣は、高まりつつあった社会主義運動や労働運動、市民による政治活動を抑え込むため、従来の集会及政社法を強化する形で治安警察法を制定した。その中心的な弾圧規定の一つが第5条である。

第5条では、軍人、警察官、神職・僧侶などの宗教者、教員、学生・生徒をはじめとする未成年者、そして女性に対し、政治結社への加入を禁止した。さらに未成年者と女性に対しては、政治的な演説会や集会に聴衆として参加することや、そうした集会を主催(発起)することすら一律に禁じた。これは、国家の秩序維持や、軍事・教育・宗教といった分野の「非政治化」を名目としていたが、実質的には体制維持のための広範な思想統制であった。

「良妻賢母」主義の法制化と女性への抑圧

治安警察法第5条は、特に女性の権利を著しく制限した点で歴史的に重視される。明治政府は「良妻賢母」を近代女性の理想像として掲げ、女性を私的領域である「家庭」に固定しようとした。第5条は、女性が公的領域である「政治」に関わることを法的に遮断し、ジェンダー規範を強制するための強力な手段であった。

この規定により、女性は政治演説を聴きに行くことすら犯罪とされ、社会問題や自らの権利について公に議論する場を奪われた。1911年に平塚らいてうらが創刊した文学結社『青鞜』の運動などが、次第に女性の地位向上や社会改革を訴えるようになると、この第5条が活動の大きな障壁として立ち塞がることとなった。

大正デモクラシーと「五条改正運動」の実績

第一次世界大戦後の大正デモクラシー期に入ると、女性の政治的権利の獲得を目指す動きが本格化した。1920年(大正9年)、平塚らいてう市川房枝、奥むめおらは新婦人協会を設立し、治安警察法第5条の改正(特に女性の集会参加・発起の自由の獲得)を求める運動を開始した。

彼女らは全国的な署名活動を展開し、帝国議会の議員たちへの執拗なロビー活動(請願運動)を行った。この運動が実を結び、1922年(大正11年)に治安警察法第5条の一部が改正され、女性の政治集会への参加・発起の自由が認められた。これは日本の女性運動史における画期的な勝利であったが、政治結社への加入(政党への入党など)の禁止は依然として維持された。女性の完全な参政権の獲得と治安警察法の完全廃止は、1945年の敗戦を経た戦後改革まで持ち越されることとなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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