岡本健三郎 (おかもとけんざぶろう)
1842年〜1885年
【概説】
土佐藩出身の幕末の志士、明治期の官僚・政治運動家。明治六年政変で下野した後、板垣退助らとともに愛国公党を結成し、自由民権運動の端緒となった「民撰議院設立の建白書」の共同署名人となった人物。
幕末の活動から明治政府への出仕
天保13年、土佐藩士の家に生まれた。幕末期には藩を脱藩し、坂本龍馬が組織した海援隊に加入して活動した。維新後は新政府に出仕し、主に大蔵省で大蔵少丞などの官職を歴任した。しかし、1873年(明治6年)に発生した明治六年政変(征韓論争)において、征韓派の参議らが一斉に下野すると、岡本もこれに同調して官職を辞した。
民撰議院設立建白書への署名とその後
下野後の1874年(明治7年)1月、岡本は板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣らとともに、日本最初の政党とされる愛国公党の結成に参画した。同月、有司専制(藩閥政治)を批判し、国民が選んだ議員による議会の開設を求めた民撰議院設立の建白書を左院に提出。岡本はこれに署名した8人のうちの一人となり、自由民権運動の先鞭をつけた。その後、土佐に帰郷して板垣らと立志社を創立したが、1877年(明治10年)の西南戦争に際して、これに呼応した挙兵を企てた容疑(立志社の獄)により逮捕され、禁獄5年の判決を受けた。出獄後、間もなく病没した。