ええじゃないか
【概説】
1867(慶応3)年の秋から翌年にかけて、東海・近畿・四国地方などを中心に発生した民衆の熱狂的な群衆乱舞である。天からの御札降りを契機に「ええじゃないか」等の囃子言葉を連呼しながら仮装して踊り狂い、幕末の社会秩序を大混乱に陥れた。
御札降りと熱狂の連鎖
1867(慶応3)年の夏頃、三河国や遠江国(現在の愛知県東部から静岡県西部)において、伊勢神宮をはじめとする神仏の御札が空から降ってくるという不可思議な現象が起きた。これを「神の降臨」や「慶事の前触れ」と捉えた民衆は、豊作や家内安全を祝う名目で路上に繰り出し、やがて「ええじゃないか」という特有の囃子言葉に乗せて熱狂的に踊り歩くようになった。この騒動は秋口にかけて東海道を西上し、京都や大坂などの畿内、さらには四国や中国地方の一部にまで爆発的に波及した。人々は男装・女装などの仮装を施し、仕事を放棄して数日間にわたり踊り狂い、富農や豪商の家に押し掛けては酒食や金品を要求した。当時の行政機能はこの群衆のエネルギーを前に為す術を持たず、事実上の無政府状態が各地で現出することとなった。
幕末の社会的閉塞と「世直し」の希求
この異常な集団狂乱の背景には、幕末期の深刻な社会不安がある。1858年の修好通商条約締結に伴う開国以降、急速な輸出拡大や国内流通の混乱により、物価(特に米などの生活必需品)は異常な高騰を見せていた。加えて、幕府による長州征討など度重なる軍事行動による御用金の賦課や政情不安が重なり、民衆の生活は極度に圧迫されていた。こうした中、1866(慶応2)年には全国各地で世直し一揆や都市部での打ちこわしが頻発していた。「ええじゃないか」は、こうした直接的な暴力行使とは異なる形態をとったものの、根底にあるのは同様の「現状打破」と「世直し」への強烈な願望であった。抑圧された民衆のフラストレーションが、宗教的な祝祭という非日常的な空間を通じて一気に噴出したものと評価できる。
政治への影響と旧体制の崩壊
「ええじゃないか」が最高潮に達した1867年10月から12月にかけての時期は、中央政局において大政奉還や王政復古の大号令が行われた、まさに討幕と維新の決定的瞬間であった。このため、幕府の治安維持機能を麻痺させ、社会を意図的に混乱させるために、岩倉具視ら倒幕派の公家や薩摩藩・長州藩の志士たちが背後で御札を撒いて騒動を扇動したとする「倒幕派謀略説」も古くから指摘されている。実際に謀略であったか否かは別としても、この未曾有の大騒動が街道の交通網や物流をストップさせ、江戸幕府の権威と統治能力を根本から失墜させたことは間違いない。旧体制の崩壊という政治的転換期において、民衆が「ええじゃないか」という熱狂の渦によって無意識のうちに幕府の息の根を止める役割を果たしたことは、日本近代史において極めて重要な意味を持っている。