お札降り (おふだふり)
【概説】
幕末の1867(慶応3)年秋、伊勢神宮などの神仏の御札が空から降ってきたという噂を契機に、民衆が「ええじゃないか」と連呼して熱狂的に踊り狂った集団狂乱現象。東海地方から近畿、四国へと瞬く間に伝播し、江戸幕府の支配秩序が崩壊していく過程を底辺から象徴した、日本史上極めて特異な社会現象の発端となった出来事である。
「降札」の発生と「ええじゃないか」の狂宴
1867(慶応3)年7月、三河国(現・愛知県)の吉田や牟呂などで、伊勢神宮や秋葉山、豊川稲荷などの神社の御札(神符)が民家の屋根や庭に降ってきたと騒がれたことが「お札降り」の始まりである。この「降札」を瑞祥(めでたい前兆)と捉えた民衆は、お札を祀って酒宴を開き、次第に熱狂的な集団ダンスへと発展していった。
民衆は派手な仮装や女装・男装を凝らし、家々を押し寄せては「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃し立て、寄付を求めて乱舞した。この運動は、東海道や山陽道、さらには四国などへと数か月の間に爆発的に広がり、都市や農村の機能が一時的に麻痺する事態となった。江戸時代の民衆が数十年周期で引き起こした伊勢参拝運動「おかげ参り」の系譜を引き継ぎつつも、よりアナーキーで破壊的なエネルギーを孕んでいた点が特徴である。
背景にある社会的不安と現状打開の希求
お札降りがこれほどの狂乱へと発展した背景には、幕末期の深刻な社会的閉塞感があった。黒船来航以降の政情不安に加え、開港に伴うハイパーインフレ(物価の高騰)、そしてコレラや麻疹などの疫病の流行は、民衆の生活を極限まで脅かしていた。加えて、1866年には「第二次長州征伐」の失敗や、全国的な「世直し一揆」「打ちこわし」が多発し、幕府の統治能力は実質的に麻痺しつつあった。
このような状況下で、日常の理不尽な現実から逃避し、既存の秩序や身分制を一時的に解体して融和を図る心理が、「お札降り」というオカルト的現象を契機に爆発した。民衆にとって「ええじゃないか」の乱舞は、現実の苦難に対する強烈なパロディであり、一種の精神的解放の場であったといえる。
倒幕の政局と「仕掛け人」の存在
お札降りは単なる民衆の自然発生的な暴発にとどまらず、政治的な意図が介在していたとする説(倒幕派工作説)が古くから唱えられている。特に京都や大坂といった政治的要衝地でお札降りが集中して発生した時期は、大政奉還(1867年10月)や王政復古の大号令(同年12月)の直前であった。
幕府側の治安維持機能を無効化し、倒幕派の兵力移動や政治工作を容易にするために、岩倉具視や薩摩藩の志士らが裏で金銭を使い、意図的にお札を撒いて民衆を煽動したという記録も一部に残されている。結果として、この「ええじゃないか」の熱狂は徳川幕府の権威を決定的に失墜させ、明治維新へと向かう激動の政局を底辺から加速させる役割を果たすこととなった。