トバエ
【概説】
明治中期にフランス人画家ジョルジュ・ビゴーが居留地・横浜で創刊したフランス語の風刺漫画雑誌。日本の伝統的な戯画の流派である「鳥羽絵」にちなんで命名された。急速な西洋化を進める明治政府や当時の社会情勢を鋭い風刺画で描き出し、当時の世相を伝える一級の歴史史料となっている。
創刊の背景と誌名の由来
明治維新を経た日本は、不平等条約の改正を勝ち取るため、鹿鳴館に象徴される急速な欧化政策を推し進めていた。このような状況下の1882(明治15)年に来日したフランスの画家・版画家であるジョルジュ・ビゴーは、当時の日本の過度な西洋模倣や、その影で抑圧される民衆の姿に強い関心を抱いた。
ビゴーは、治外法権が認められていた横浜の外国人居留地という立場を利用し、政府の検閲を避ける形で1887(明治20)年に風刺漫画雑誌『トバエ』を創刊した。この誌名は、平安時代末期の『鳥獣人物戯画』の作者と仮託された鳥羽僧正覚猷に由来する、日本の伝統的な軽妙・洒脱な風刺画「鳥羽絵」から採用されたものである。日本の伝統をリスペクトしつつ、西洋化に邁進する日本社会を皮肉るというビゴーの姿勢がこの誌名に表れている。
『トバエ』が描いた風刺と歴史的意義
『トバエ』の紙面では、洋服を着てダンスに興じる日本の官僚や上流階級が、滑稽な「猿真似」としてしばしば描かれた。また、政府が進める軍国主義化や、自由民権運動に対する言論弾圧の様子など、明治政府の「光と影」の「影」の部分を視覚的に鋭く告発した。
さらに、当時の東アジアをめぐる緊迫した国際情勢も好んで題材とされた。なかでも、日本と清が朝鮮という魚を釣ろうと競い合っている背後から、ロシアが漁夫の利を狙って網を構えている様子を描いた風刺画「魚釣り遊び(釣魚戯画)」は極めて有名であり、のちの日清戦争へと至る国際対立の構図を的確に捉えた図版として、現代の歴史教科書にも数多く引用されている。
『トバエ』は1889(明治22)年に廃刊となるが、ビゴーが残した一連の風刺画は、文字史料だけでは窺い知ることのできない明治期日本の世相や国際環境、そして外国人の目から見た当時のリアルな日本社会の姿を今日に伝える、一級の視覚的歴史史料としての地位を確立している。