早期 (そうき)
【概説】
縄文時代の時期区分のうち、草創期に続く2番目の時期。氷河期が明けて地球規模の温暖化が進むなか、豊かな自然環境への適応を通じて、人々の定住生活が本格的に始まった画期的な時代である。
温暖化にともなう環境の変化と「縄文海進」の始まり
縄文時代早期は、地質学上の区分における更新世(氷河時代)から完新世(後氷期)への移行が決定づけられた時期である。地球規模での急速な温暖化により、日本列島の気候や生態系は劇的に変化した。
この温暖化により極地の氷河が融け、海面が上昇する縄文海進が始まった。これにより日本列島の沿岸部には複雑な入り江(リアス式海岸など)が形成され、魚介類が豊富に生息する格好の漁場が誕生した。陸上でも気候の変化にともない、東日本ではブナやクリ、コナラなどの落葉広葉樹林が広がり、西日本ではシイやカシなどの照葉樹林が拡大した。これらの森林は、食用となる豊かな堅果類(ドングリやトチの実など)をもたらし、さらにそれらを餌とするシカやイノシシなどの中小型獣を増加させた。このように、早期における自然環境の激変は、人々の獲得経済をより安定したものへと変貌させる契機となった。
定住化の進展と集落遺跡の出現
環境の安定にともない、人々は従来の移動を繰り返す生活から、一箇所に長期間とどまる定住生活へと移行し始めた。その具体的な証拠として、各地で竪穴住居が構築され、複数の住居からなる小規模な集落が形成されるようになった。
特に南九州では定住化の動きが早くから進んでおり、鹿児島県の上野原遺跡や掃除坂遺跡などからは、縄文時代早期前葉から中葉にさかのぼる高密度な定住集落跡が発見されている。これらの遺跡では、住居跡だけでなく、食料を貯蔵するための穴(貯蔵穴)や、調理を行ったとされる炉穴などの遺構が検出されており、定住化が技術的・社会的に確立されつつあったことを物語っている。また、この時期から海洋資源の本格的な利用が始まり、神奈川県の夏島貝塚(早期層)をはじめとする、最古段階の貝塚が形成され始めたことも定住化の進展を裏付けている。
道具の進歩と土器の多様化:尖底土器と撚糸文土器
生活様式の変化は、使用される道具類にも大きな革新をもたらした。この時期の土器は、底部が尖った尖底土器(せんていどき)が主流であった。これは、炉を構える砂地や地面に突き刺して自立させ、煮炊きを行うために適した形状であったと考えられている。
また、土器の表面に施された文様も地域ごとに多様化した。早期を代表する土器として、植物の繊維を縒り合わせた紐を回転させて美しい文様を施した撚糸文土器(よりいともんどき)や、貝殻の縁などを押し当てて施文した条痕文土器(じょうこんもんどき)などが知られている。これに加え、植物性食料の普及に対応して、ドングリなどのアク抜きや粉砕を行うための石皿や磨石(すりいし)などの石器組成も発達し、生活技術が大幅に向上したことが確認されている。