前期
【概説】
縄文時代を区分する6期(草創期・早期・前期・中期・後期・晩期)のうち、3番目にあたる時期。地球規模の温暖化に伴う「縄文海進」が最盛期を迎え、日本列島の自然環境が大きく変貌した時代である。安定した温和な気候を背景に、人々の定住生活がさらに強固なものとなり、大規模な集落の形成や広域交易が活発化した。
縄文海進と生態系の劇的変化
縄文時代前期は、更新世(氷河時代)が終わって以降、地球規模で最も温暖化した時期に該当する。この温暖化によって極地の氷河が融解し、海水面が現在よりも2〜3メートル上昇した。この現象を縄文海進と呼ぶ。
海進により、現在の関東平野の奥深くまで海が入り込み、複雑な入り江(奥東京湾など)が形成された。現在、内陸部である埼玉県富士見市の水子貝塚や、栃木県などで貝塚が発見されるのは、当時の海岸線が現在よりもはるか内陸部に存在していたためである。温暖な気候は陸上の植生にも影響を与え、東日本にはブナやクリ、コナラなどの落葉広葉樹林が広がり、西日本にはシイやカシなどの照葉樹林が拡大した。これによって豊かな木の実やそれを食す野生動物(シカやイノシシ)、そして豊かな浅瀬の魚介類といった食料資源が劇的に増加し、人々の生活基盤は極めて安定したものとなった。
平底土器の定着と地域文化の多様化
生活様式の変化は、考古学的遺物である土器の形状にも顕著に現れている。縄文時代早期まで主流であった、地面に突き刺して使用する底の尖った「尖底土器」は姿を消し、平らな床面に安定して置くことができる平底(ひらぞこ)土器が完全に定着した。これは、住居内に炉が設けられ、煮炊きによる調理や食料の貯蔵が日常生活の不可欠な要素となったことを示している。
また、この時期には地域ごとに独自の土器様式(型式)が発達した。関東地方では黒浜式土器やそれに続く諸磯(もろいそ)式土器、近畿地方では北白川式土器などが代表的である。さらに、土器の粘土に植物の繊維を混ぜ込んで強度を高めた繊維土器なども作られ、食料加工技術(植物のあく抜きなど)の進歩とともに、各地で多様な生活文化が花開いた。
集落の大型化と広域交易ネットワークの形成
食料獲得の安定化は、集落の規模拡大と定住化をさらに押し進めた。住居が中央の広場を囲むように円環状に配置される環状集落(拠点集落)が各地に出現し、集落内の社会的な結びつきや分業体制が強化された。青森県の巨大集落遺跡として世界遺産にも登録されている三内丸山遺跡も、この前期(約5500年前)にその産声を上げ、中期にかけて大きく発展していくことになる。
定住生活が安定する一方で、人々は集落内に閉じこもるだけでなく、驚くほど広範なネットワークを築いていた。北海道や東北地方の黒曜石、新潟県糸魚川流域のヒスイ、さらには天然のアスファルトなどが、丸木舟などを用いた水上交通を通じて数百キロメートルも離れた地域へと運ばれた。この広域交易の存在は、縄文時代前期の社会が単なる孤立した未開社会ではなく、広域での情報や技術、物資の交換を行う豊かなネットワーク社会であったことを証明している。