中期
【概説】
縄文時代の6区分(草創期・早期・前期・中期・後期・晩期)における4番目の時期。温暖な気候のもとで自然の恵みが豊かになり、東日本を中心に人口が急増して定住生活が高度に発達した。集落の大型化が進むとともに、火焔型土器に代表される立体的で躍動感あふれる装飾を施した土器や、豊かな精神世界を示す土偶などが多数製作された、縄文文化の最盛期である。
温暖な気候と東日本における人口の爆発的増加
縄文時代中期は、前代からの温暖な気候が維持され、落葉広葉樹林の生態系が最も豊かに広がった時期である。特にクリ、トチ、ドングリなどの堅果類(ナッツ類)や、シカ・イノシシなどの狩猟資源が豊富であった東日本の中部地方山岳地帯や関東地方において、人口が爆発的に増加した。この時期の遺跡や出土遺物の数は縄文時代を通じて最大規模を誇る。
人々の定住生活はさらに安定し、大規模な集落が各地に形成された。その代表例が、青森県の三内丸山遺跡(前期〜中期)や長野県の尖石遺跡である。広大な敷地に多くの竪穴住居や掘立柱建物、貯蔵穴が計画的に配置され、長期間にわたって共同体生活が維持されたことが明らかになっている。
「火焔型土器」の登場と精神世界の表出
中期の最大の特徴は、土器の装飾性が極限にまで達したことである。新潟県信濃川流域などを中心に出土する火焔型土器(火焔土器)は、燃え上がる炎をかたどったかのような、激しい立体的な装飾(把手や鶏頭冠状の突起)を持ち、当時の人々の優れた造形センスを示している。
これらの過剰とも言える装飾は、単に実用的な煮炊きの道具としてだけでなく、共同体の祭りや儀礼、呪術的な用途に深く結びついていたと考えられている。また、この時期から女性を模した土偶の製作が本格化し、生命の誕生や安産、大地の豊穣を祈る精神文化が著しく発達したことも特筆される。このほか、祭祀の道具と考えられる石棒なども多く作られた。
環状集落の構造と交易ネットワーク
中期を代表する集落形態として、中央の広場(墓地を兼ねることが多い)を取り囲むように竪穴住居がドーナツ状に並ぶ環状集落が発達した。これは、血縁関係に基づいた平等で緊密な共同体が存在していたことを物語っている。
また、集落内にとどまらない広域の交易ネットワークも成立していた。新潟県姫川流域産のヒスイや、長野県八ヶ岳周辺や伊豆諸島神津島産の黒曜石、さらにはアスファルトなどの特定地域の特産物が、数百キロメートルも離れた遠隔地へと運ばれ、流通していた。こうした交易の活発化は、中期社会の高い組織力と、地域間交流の緊密さを証明している。