町入用 (まちいりよう)
【概説】
江戸時代の都市において、各町(町内)が共同で負担した自治・維持管理のための経費。木戸番の給金や上水道の維持費、防災設備費などの町内運営に不可欠な諸経費に充てられた。幕府の公的資金に依存せず、町人自らの手による都市インフラの維持と治安維持(共同体自治)を支えた財政基盤である。
江戸の都市自治を支えた共同経費
江戸の町政は、幕府の機関である町奉行所の支配下にあったが、実務の末端は町人(地主や家主などの家持)による自治に委ねられていた。この町内自治を財政面から支えたのが町入用である。
具体的な使途としては、町内の治安維持にあたる木戸番の給金や、ごみの投棄を監視・処理する費用、火災に備えた水桶や梯子といった消防用具の調達・維持費などが挙げられる。また、神田上水や玉川上水から町内へ引き込まれた木樋(水道管)の維持・修繕費など、都市の生活インフラを維持するための経費も町入用から支払われた。このように、町入用は都市生活における必要不可欠な共同防衛・公共サービスの財源となっていた。
負担の仕組みと幕政との関わり
町入用は、町の土地や家屋を所有する家持(地主や家主)が、所有する土地の間口(表口)の幅などに応じて共同で負担した。裏長屋などに居住する借家人(店借)は、直接この経費を支払う義務はなかったが、実際には家賃(店賃)の中に町入用の負担分が組み込まれており、間接的に江戸の庶民全体がこの経費を支えていた。
18世紀後半、寛政の改革を主導した老中・松平定信は、都市財政の健全化と貧民救済を目的に、町入用の節約を命じた。このとき、節約された町入用の7割を積み立てさせた制度が七分積金(しちぶつみきん)であり、これは後の江戸の社会福祉制度や飢饉対策の基盤となった。町入用の緊縮は、単なる地方財政の抑制にとどまらず、幕府の都市政策とも深く連動していたのである。