碓氷関 (うすいせき)
1614年〜1869年
【概説】
中山道の上野国(群馬県)と信濃国(長野県)の国境付近に置かれた江戸幕府の関所。江戸防衛のための要衝であり、東海道の箱根関などと並ぶ重要な関所の一つ。
中山道の要衝と「入鉄炮に出女」の監視
碓氷関は、五街道の一つである中山道の坂本宿の西、碓氷峠の東側に位置する。江戸幕府は軍事的な防衛対策として「入鉄炮に出女」を厳しく取り締まった。これは、江戸へ流入する武器(入鉄炮)と、江戸屋敷に人質として居住させていた大名の妻女が領国へ逃亡すること(出女)を監視するシステムである。碓氷関は、この監視において関東の西の関門として極めて重要な役割を果たした。
江戸時代の関所制度と碓氷関の終焉
碓氷関の起源は中世にさかのぼるが、江戸幕府による本格的な整備は1614年(慶長19年)の大坂冬の陣のころとされる。安中藩がその管理を義務付けられ、厳重な警備が行われた。この体制は幕末まで維持されたが、明治維新期の1869年(明治2年)に、明治政府が近代化に向けて諸国の関所を廃止した(関所廃止令)に伴い、碓氷関もその歴史的役割を終えた。現在は関所跡として整備され、東門が復元されるなど歴史遺構として保存されている。