新居関(今切関)

東海道の遠江国、浜名湖畔に置かれた重要な関所はどこか。
カテゴリ:
重要度

新居関(今切関) (あらいのせき / いまぎれのせき)

1600年〜1869年

【概説】
江戸幕府によって東海道の遠江国新居(現・静岡県湖西市)に設置された、警備極めて厳重な関所。箱根関所などと並び、幕府の防衛体制である「入鉄砲に出女」を厳しく監視する東海道の要衝。明応の大地震によって浜名湖が海とつながった「今切口」に位置したことから、「今切関」とも呼ばれる。

浜名湖の地政学的特性と関所の設置

新居関は慶長5年(1600年)、徳川家康によって創設された。この地は、1498年(明応7年)に発生した大地震と津波によって浜名湖と遠州灘を隔てる砂州が切れ、湖が海とつながってできた「今切(いまぎれ)」と呼ばれる水上の難所であった。旅人はここを船で渡る必要があったため、交通を遮断しやすく、軍事的な防衛拠点として極めて有利な条件を備えていた。東海道を行き交う旅人や物資を監視するため、江戸幕府は新居関を西国に対する防御の要として重視した。

「入鉄砲に出女」の取り締まりと現存する遺構

新居関の主要な役割は、江戸への武器の流入を防ぐ「入鉄砲」と、人質として江戸に住まわせている大名の妻女(出女)の脱出を防ぐ「出女」の取り締まりであった。特に新居関は、全国の関所の中でも「出女」に対する検査が極めて厳しかったことで知られ、通行には老中が発行した「女通行手形」が必須であった。明治2年(1869年)に関所制度が廃止されるまで機能し続けた。現在、大正期に改築されつつも江戸時代後期の面番所建物が唯一現存する関所跡として、国の特別史跡に指定され、往時の交通・軍事制度を伝える貴重な文化財となっている。

浜名湖

風光明媚な景観と歴史的背景を丁寧に辿り、湖畔の自然や文化の変遷を多角的な視点で描き出した魅力的な郷土の記録。

日本交通史〈新装版〉

古代から現代までの物流と交通の進化を追い、日本の社会発展がいかに道の形によって形作られてきたかを俯瞰する学術的書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1584年、羽柴秀吉の勢力拡大に反発した織田信雄と徳川家康が手を結び、秀吉軍と激突した尾張国での戦いを何というか?
Q. 加賀藩主前田綱紀の保護を受け、膨大な本草学の百科事典『庶物類纂』の編纂を開始した学者は誰か。
Q. 10世紀後半以降に分裂した天台宗のうち、円珍の門流からなり、園城寺(三井寺)を拠点として山門派と対立した一派を何というか?