晩期
【概説】
縄文時代の最終段階にあたる時代区分。東北地方を中心に精巧な亀ヶ岡式土器や遮光器土偶に代表される高度な工芸・精神文化が花開いた一方で、終盤には大陸から水田稲作が伝来し、弥生社会へと移行する大転換期となった。
工芸技術の極致と精神文化の発達
縄文時代晩期を最も特徴づけるのが、東北地方を中心に列島各地へ影響を及ぼした亀ヶ岡文化である。この時期の亀ヶ岡式土器は、それ以前の荒々しい立体的な装飾から一転し、極めて薄手で、精緻な文様が施された機能美と装飾美を兼ね備えたものへと変化した。また、赤色や黒色の漆(うるし)を巧みに用いた漆器、精巧な木製品や骨角器など、この時代の工芸技術は先史時代における最高到達点に達している。
さらに、この時期には有名な遮光器土偶をはじめとする、多様で精巧な土偶や石棒などの祭祀具が大量に作られた。これは、世界的な気候寒冷化に伴う食料資源の減少や、それに起因する社会的な不安を乗り越えるため、人々が共同体の結束や生業の安定を祈る呪術・祭祀活動をより一層重視した結果と考えられている。
大陸文化との接触と水田稲作の受容
晩期のもう一つの極めて重要な側面は、のちの弥生時代へとつながる水田稲作技術の伝来である。縄文時代晩期の終末(およそ紀元前10世紀頃〜紀元前4世紀頃)、朝鮮半島を経由して九州北部に本格的な水田農耕技術や、木製農具、大陸系無文土器、磨製石器などがもたらされた。
佐賀県の菜畑遺跡や福岡県の板付遺跡などからは、縄文晩期末の地層から本格的な水田跡や水路、堰(せき)などの灌漑設備が発見されており、縄文時代の段階で既に組織的な稲作農耕が始まっていたことが実証されている。このように晩期は、独自の狩猟採集経済を極限まで発達させた縄文社会が、大陸からの新技術を主体的に受容し、農耕を基盤とする弥生社会へとダイナミックに変貌を遂げていく歴史的な過渡期であった。