網漁

高校日本史的重要度
★★

網漁(あみりょう)

【概説】
網を用いて、一度に大量の魚を効率よく捕獲する漁法。縄文時代において、植物繊維で編まれた網に石や粘土製のおもりを装着して実用化され、定住生活を支えた画期的な食糧獲得技術。

縄文技術の粋を示す「石錘」と「土錘」

網漁が行われていたことを直接証明する「網」そのものは、植物繊維という有機質でできているため、考古学的な遺物として地中に残ることは極めて稀である。しかし、網を水中に沈めるために取り付けられたおもりである石錘(せきすい)や土錘(どすい)が、日本各地の縄文遺跡や貝塚から大量に出土することから、当時の網漁の実態が明らかにされている。

石錘は、扁平な自然石の側面に切り込み(切欠)を入れて紐を縛りやすくしたもので、縄文時代を通じて広く使われた。一方、土錘は粘土を管状や紡錘形に成形して焼き上げたもので、紐を通すための溝や穴が施されている。これらの重さや形状のバリエーションからは、縄文人が対象とする魚の習性、水深、潮流の速さに合わせて網の沈み方を緻密に調整していたことがうかがえる。また、網を編むためには強靭な糸を作る撚糸技術や、結び目を均等に保つ編耕技術が必要であり、縄文人の高い技術水準を示している。

定住生活を支えた「大量捕獲」への転換

縄文時代の漁労は、旧石器時代の狩猟・採集生活から定住生活へと移行する中で著しく発達した。網漁の導入における最大の歴史的意義は、それまでの釣針や銛(もり)、ヤスを用いた一対一の個別的な漁法から、一度に多量の魚を得る大量捕獲(一括捕獲)システムへの転換を可能にした点にある。

特に温暖化が進んだ縄文海進期には、各地に豊かな内湾(入り江)や干潟が形成され、マイワシ、ボラ、スズキなどの群行性の魚類が豊富に入り込んできた。これらの魚群を狙って行われた網漁は、季節ごとに安定した食糧資源を安定的かつ大量に集落にもたらした。この生業の安定化こそが、人々が長期間にわたって同じ場所に居住し、縄文社会の象徴である大貝塚や大規模な定住集落(集落遺跡)を維持・発展させる原動力となったのである。

最終更新:
2026年9月16日 @ 14:46

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