狩猟

重要度
★★★

狩猟

【概説】
弓矢や落とし穴などを駆使して獣類を捕獲し、食料や毛皮、骨角器の材料などを得る生業形態。植物採集や漁労と並び、縄文時代における自然の恵みに依存した獲得経済を支える重要な柱であった。

自然環境の変化と狩猟対象の移行

約1万数千年前、地球規模の温暖化によって更新世(氷河時代)から完新世へと移行すると、日本列島の自然環境は劇的に変化した。旧石器時代の人々の主要な獲物であったナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳動物は絶滅または寒冷地へと移動し、代わって温暖な気候に適応した落葉広葉樹林や照葉樹林が列島を覆うようになった。この新たな森林環境において繁殖したのが、ニホンジカイノシシといった動きの素早い中・小型獣である。縄文時代の狩猟は、旧石器時代の大型獣猟から、これらの中・小型獣を主なターゲットとするスタイルへと大きく再構築されることとなった。

弓矢の登場と狩猟技術の革新

すばしっこい中・小型獣を的確かつ効率的に捕獲するため、縄文時代には画期的な狩猟具として弓矢が発明・普及した。旧石器時代の狩猟が、主に槍(尖頭器や細石刃を取り付けたもの)を用いた近接・刺突猟であったのに対し、弓矢の登場は離れた位置から獲物を狙撃することを可能にし、狩猟の成功率と安全性を飛躍的に高めた。矢の先端には、黒曜石やサヌカイトなどの石材を鋭く打ち欠いた石鏃(せきぞく)が装着されており、全国各地の縄文遺跡から大量に出土している。また、狩猟の重要なパートナーとして犬(縄文犬)が飼育・訓練され、獲物の探索や追い込みに活躍していた。遺跡から発見される犬の埋葬例は、彼らが単なる動物としてではなく、猟犬として人間から大切に扱われていたことを示している。

陥し穴を用いた組織的な罠猟

弓矢を用いた積極的な狩猟活動と並行して、地形を巧みに利用した陥し穴(おとしあな)による罠猟も盛んに行われた。獣道などの動物の通り道に掘られた陥し穴の底には、獲物の動きを封じるための逆茂木(さかもぎ)が仕掛けられることもあった。陥し穴は単独で設置されるだけでなく、尾根や谷沿いに列状に多数配置されるケースも確認されている。これは、集団で動物を特定の方向へ追い込んで一網打尽にする大規模な追い込み猟が行われていたことを示唆しており、当時の狩猟が単独行動にとどまらず、集落の成員が連携して行う高度に組織化された経済活動であったことを物語っている。

獲得経済における意義と精神文化への影響

狩猟は単に肉という貴重な動物性タンパク質を獲得する手段にとどまらなかった。得られた動物の毛皮は防寒着などの衣服や敷物に加工され、骨や角は釣り針や銛(もり)、装身具といった骨角器の材料として余すところなく活用された。このように、狩猟は植物採集や漁労とともに、縄文社会の生活基盤を支える獲得経済の中核であった。さらに、自然の恵みに対する畏敬の念や、命を奪う獲物への感謝・鎮魂の感情は、豊かなアニミズム(精霊崇拝)的信仰を育んだ。イノシシなどを模した動物形土製品の製作や、動物の骨を丁寧に並べた埋葬儀礼などは、狩猟という生業が縄文人の宗教観や精神文化と不可分に結びついていたことを如実に示している。

入門 縄文時代の考古学

日本列島の原風景を形作った縄文時代の社会構造と生活の変遷を体系的に解き明かす、基礎研究の到達点を示す一冊。

縄文文化の扉を開く

複雑な精神世界や独自の造形美を紐解き、現代に通じる縄文文化の根源的な魅力を多角的な視点で描き出した入門の書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. ヤマト政権において、国家や皇室の財物などを納めていた斎蔵(いみくら)・大蔵(おおくら)・内蔵(うちくら)を総称して何というか?
Q. 皇極天皇が営んだ宮で、中大兄皇子らによる蘇我入鹿の暗殺事件(乙巳の変)の舞台となったのはどこか?
Q. 弥生時代の田おこしなどの農作業において、土を掘り起こすために用いられた鍬(くわ)と鋤(すき)は主に何で作られていたか?