採取 (縄文時代)
【概説】
野山でドングリやクルミなどの木の実(堅果類)、キノコ、山菜などを拾い集め、食料や生活物資を獲得する生業。縄文時代においては狩猟・漁労と並んで人々の生活を支える極めて重要な経済基盤であった。単なる自然採集にとどまらず、土器を用いた加工や貯蔵技術の発達を促し、日本列島における人類の定住化を決定づけた。
気候温暖化と植物相の変化
約1万年前に最終氷期が終わりを告げ、完新世の温暖な気候へと移行すると、日本列島の自然環境は劇的な変化を遂げた。旧石器時代の冷涼な気候下で広がっていた針葉樹林は後退し、代わって東日本ではブナやナラなどの落葉広葉樹林が、西日本ではカシやシイなどの照葉樹林が繁茂するようになった。これにより、人類の食料となる植物資源が豊富に得られる環境が整い、縄文時代における採取活動の強固な基盤が形成されたのである。
主要な資源である堅果類と土器の役割
縄文時代の採取活動において最も重視されたのは、秋に結実する堅果類(木の実)であった。特にクリやクルミは、そのまま、あるいは簡単な加熱処理で食すことができるため重宝された。一方で、ドングリ(ミズナラやコナラなど)やトチノミは栄養価が高い半面、強い渋み(タンニンなどのアク)を含むため、そのままでは食用に適さなかった。
そこで縄文人は、新たに発明された縄文土器を用いて煮沸し、水にさらしてアクを抜くという高度な加工・調理技術を編み出した。土器の出現は、それまで利用が困難だった植物資源の食料化を可能にし、採取の対象を飛躍的に広げる画期的な出来事であった。
貯蔵穴の普及と定住生活への移行
植物の採取は、秋などの特定の季節に収穫が集中するという特徴を持つ。そのため、冬から春にかけての食料不足を乗り越えるためには、保存技術が不可欠であった。縄文時代の集落(環状集落など)の周辺には多数の貯蔵穴が設けられ、水場を利用した貯蔵施設にドングリなどを大量に備蓄していたことが発掘調査で判明している。
秋に大量の木の実を集中的に採取し、それを加工・貯蔵して年間を通じて計画的に消費するという生活スタイルは、人々が特定の場所に留まる定住化を強く推し進めた。旧石器時代の遊動的な狩猟生活から、縄文時代の安定した定住生活への歴史的転換は、採取活動の安定と高度化に負うところが極めて大きい。
自然採集から植物管理・栽培の萌芽へ
近年の考古植物学の発展により、縄文人の採取活動は、単に自然界に自生する植物を場当たり的に集めるだけの段階にはとどまっていなかったことが明らかになっている。青森県の三内丸山遺跡などの花粉分析やDNA研究からは、集落の周辺でクリの木が意図的に植栽され、林として管理されていたことが確認されている。
また、食用となるエゴマやマメ類、容器となるヒョウタン、塗料となるウルシなどの有用植物も、人為的に管理・栽培されていた可能性が高いとされている。このように縄文時代の「採取」は、受動的な自然採集から初期の農耕(栽培)の萌芽へと連なる、自然環境への積極的かつ持続的な働きかけであったと評価されている。