パウロ5世

慶長遣欧使節の支倉常長らが謁見した、カトリック教会の最高指導者は誰か。
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パウロ5世 (ぱうろごせい)

1552年〜1621年

【概説】
バロック期に在位したローマカトリック教会の教皇。仙台藩主・伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節の支倉常長らをローマで謁見した人物。日本で禁教政策が本格化するなか、キリシタン交渉史の過渡期に対応したことで知られる。

慶長遣欧使節のローマ到達と謁見

1615年11月、伊達政宗の使臣である支倉常長とフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロらの一行は、ローマのクィリナーレ宮殿において教皇パウロ5世への謁見を果たした。常長は政宗からの親書を教皇に奉呈し、ローマ市民権を授与されるなど大歓迎を受けた。政宗の意図は、領内への宣教師受け入れと引き換えに、ノビスパニア(メキシコ)との直接通商の仲介を教皇やスペイン国王に依頼することにあった。

幕府の禁教令と教皇の苦悩

しかし、常長らがローマに到着した当時、日本国内では徳川幕府による禁教令(1612年・1614年)がすでに発令されており、キリスト教徒への弾圧が激化していた。この情報は宣教師らのルートを通じてヨーロッパにも届いており、パウロ5世は使節を精神的に歓迎しつつも、日本への宣教師増派や通商支援といった具体的な要求に対しては、スペイン王権との兼ね合いもあり慎重な態度に終始せざるを得なかった。結果として、使節は外交・通商上の実質的な成果を得られず、日本のキリシタン史における悲劇的な外交交渉となった。

支倉常長: 慶長遣欧使節の悲劇 (中公新書 1468)

遥かなる異国で歴史の荒波に翻弄された支倉常長の孤独な闘いと、遣欧使節が辿った数奇な運命を解き明かす一冊。

史疑 徳川家康事蹟 覆刻版+現代語訳

家康の出自を巡る伝説や数々の謎を検証し、史実の背後に隠された歴史の真実を浮き彫りにする画期的な研究の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 野呂元丈が、オランダ商館長からオランダ語を学び、西洋の植物学書(本草書)を抄訳してまとめた書物は何か?
Q. 横穴式石室の構造において、通路の奥にあり、実際に棺(遺体)や副葬品が納められる部屋を何というか?
Q. 1888年に公布された、山県有朋とモッセの主導によって近代的な地方行政の枠組みを定めた法律(2つ)を合わせて何というか?