金肥(干鰯・〆粕・油粕) (きんぴ(ほしか・しめかす・あぶらかす)
【概説】
江戸時代に流通した、貨幣で購入する高価な肥料の総称。主にイワシを乾燥させた干鰯や、魚肉・菜種などから油を搾った残りの粕などが用いられ、多肥を要する商品作物の栽培に不可欠なものとして農業生産の発展を大きく支えた。
自給肥料から「購入する肥料」へ
江戸時代前期までの農業では、山野から刈り取った草を田畑にすき込む刈敷(かりしき)や、草木を燃やした草木灰(そうもくばい)、あるいは人糞尿である下肥(しもごえ)といった、農民自身が無償で調達できる自給肥料が主流であった。しかし、江戸時代中期にかけて新田開発が一巡し、限られた耕地からより高い収益を上げるための集約的・多角的な農業へと転換していく中で、より高い栄養価を持つ強力な肥料が求められるようになった。
そこで普及したのが、貨幣を支払って購入する金肥(きんぴ)である。代表的なものとして、地引網漁の普及によって大量に水揚げされたイワシを砂浜で乾燥させた干鰯(ほしか)、イワシを煮て魚油を搾り取った残りを固めた〆粕(しめかす)がある。また、魚類だけでなく、菜種や綿実から灯明油などを搾取した後に残る油粕(あぶらかす)も、良質な窒素肥料として重宝された。
商品作物の発展と金肥の役割
金肥が急速に普及した最大の要因は、全国的な交通・流通網の整備と都市の発展に伴う商品作物の需要増大である。特に、衣料の原料となる綿花や、染料となる藍、灯明油の原料となる菜種などは、成長に非常に多くの栄養分を必要とする作物であった。
先進地域であった畿内(上方)をはじめとする西日本一帯では、農民が米作の裏作として、あるいは畑地でこれらの商品作物を集中的に栽培した。たとえば木綿栽培においては、窒素やリン酸を豊富に含む干鰯が著しい増収効果をもたらしたため、金肥の投入は不可欠となった。農民は金肥を投じることで品質の高い作物を収穫し、それを販売して多額の現金収入を得るという、新しい農業経営を確立していった。
流通網の発達と農村への影響
金肥の多用は、日本の経済構造そのものにも大きな影響を及ぼした。房総半島(九十九里浜など)や紀伊半島で大量に生産された干鰯や〆粕は、樽廻船や菱垣廻船などの海運を通じて大坂や江戸の市場へ運ばれ、そこから干鰯問屋などの専門商人を通じて全国の農村へと流通した。これにより、肥料という物資を媒介にした全国規模の市場経済が形成されたのである。
一方で、金肥への依存は農村に深刻な矛盾ももたらした。農民は金肥を購入するために常に現金を必要としたため、農村の貨幣経済化が急速に進展した。豊作時には大きな利益をもたらしたが、不作時や金肥の価格が高騰した際には、多額の肥料代が農民の生活を激しく圧迫した。結果として、借金によって土地を手放す没落農民と、土地を集積して地主化する豪農との農民層の階層分化が促進されることとなった。
また、18世紀後半から19世紀にかけては、特権的な干鰯問屋による価格の吊り上げに対し、畿内の綿作農民などが広域で団結して反発する国訴(こくそ)と呼ばれる大規模な訴願運動が頻発した。このように、金肥は江戸時代の農業生産力を飛躍的に高めた革新的な資材であると同時に、社会構造の変化や民衆運動を引き起こす重要な歴史的要因であったと言える。