唐物

高校日本史的重要度
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【参考リンク】

唐物 (からもの)

【概説】
平安時代に日宋貿易などを通じて中国(宋)から日本に輸入された、陶磁器や絹織物、香木などの高級美術品や日用品の総称。当時の貴族社会において富と権力のステータスシンボルとして極めて珍重され、日本独自の美意識の形成にも大きな影響を与えた。

「国風文化」の裏に存在する唐物への憧憬

平安時代中期の10世紀から11世紀にかけては、一般に遣唐使の廃止(894年)にともない、日本独自の風土や感性に合わせた「国風文化」が栄えた時代とされる。しかし、これは決して海外との文化交流の途絶を意味するものではなかった。公式な外交関係は途絶えたものの、太宰府を窓口とする商人たちの私貿易や、中国からの商船の来航によって、高級な中国産品である「唐物」が大量に日本にもたらされていた。当時の貴族たちは、宋産の青磁や白磁、上質な絹織物、薫香に用いる香木、さらには仏典や漢籍などの唐物を、最先端の「唐風」文化として熱狂的に受容し、自らの権威や知的水準を示す象徴として競って収集した。

日宋貿易の進展と中世文化への系譜

平安時代後期になると、平清盛に代表される武士勢力が瀬戸内海の航路を整備し、大輪田泊(現在の神戸市)を拠点として日宋貿易を本格化させた。これにより、唐物の流入はさらに加速し、貴族階級だけでなく新興の武士階層や大寺社にも広がっていくこととなる。この時代に培われた唐物への執着と鑑賞の文化は、鎌倉時代を経て、室町時代の「東山文化」において中国の絵画や茶器を珍重する「唐物数寄」へと発展し、のちの日本独自の茶の湯文化を形成する重要な契機となった。

最終更新:
2026年10月2日 @ 16:54

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