御霊会 (ごりょうえ)
863年~
【概説】
平安時代に始まった、非業の死を遂げた人々の怨霊を慰め、疫病や天災などの災厄を防ぐために行われた祭礼。仏教の追善供養と神道的な神観念が融合した御霊信仰を背景に、国家や朝廷、さらには庶民の手によって盛んに営まれた儀式である。
御霊信仰の誕生と神泉苑の御霊会
平安時代初期、政治的な陰謀や政争によって失脚・非業の死を遂げた者たちの怨念が、疫病の流行や天災をもたらすという御霊信仰(ごりょうしんこう)が急速に広まった。特に9世紀後半の貞観年間は、富士山の噴火や巨大地震、そして痘瘡(天然痘)をはじめとする疫病が猛威を振るい、社会不安が極限に達していた時期であった。これに対処するため、貞観5年(863年)、朝廷は平安京の禁裏庭園であった神泉苑(しんせんえん)において、国家主催の最初の公式な御霊会を執り行った。この儀式では、早良親王(崇道天皇)をはじめとする六柱の怨霊を慰撫するため、仏教僧による読経や神楽、歌舞などが盛大に奉納され、災厄の退散が祈願された。
祇園祭への発展と庶民への波及
当初は国家的な危機を回避するための宮廷行事であった御霊会は、時代が下るにつれて地域社会や庶民の間へと浸透し、祭礼としての性質を強めていった。なかでも平安中期以降、京都の祇園社(現在の八坂神社)で行われるようになった御霊会は、日本を代表する祭礼である祇園祭(祇園御霊会)の直接的な起源となった。夏季に流行する伝染病を防ぐため、疫病神としての性格を持つ牛頭天王(ごずてんのう)を祀り、山鉾(やまほこ)を巡行させて街の邪気や怨霊を吸い寄せ、退散させようとした。このようにして発生した御霊会は、怨霊に対する恐れを前提としつつも、華やかなお祭り騒ぎを通じて人々の不満や不安を解消し、都市の活力を維持するための重要な年中行事へと発展していったのである。