北野神社(北野天満宮) (きたのじんじゃ(きたのてんまんぐう)
【概説】
平安時代中期の京都に、政争で失脚し大宰府で没した菅原道真の怨霊を鎮めるために創建された神社。日本における代表的な御霊信仰の拠点であり、のちに天神信仰と結びついて「学問の神」として広く信仰を集めるにいたった聖地。
御霊信仰の展開と神社の創建
平安時代前期の901年(延喜元年)、右大臣であった菅原道真は、左大臣の藤原時平らの策謀(昌泰の変)によって大宰府へ左遷され、その2年後に現地で無念の死を遂げた。彼の死後、都では疫病の流行や異常気象が相次ぎ、さらに道真を陥れた藤原時平が若くして病死した。決定打となったのは930年(延長8年)の清涼殿落雷事件であり、朝廷の要人に多くの死傷者が出たことで、人々は道真の怨霊が猛威を振るっていると恐れ、強い危機感を抱いた。
こうした中、道真の霊を慰めるために、神託に基づいて947年(天暦元年)に京都の北野の地に社殿が建立された。これが北野神社(現在の北野天満宮)の始まりである。非業の死を遂げた人物の怨霊を恐れ、それを神(天神)として祀ることで災厄を防ぎ、守護神へと変貌させる御霊信仰(ごりょうしんこう)の典型的な事例となった。
「天神様」としての普及と学問の神への変容
当初は恐怖の対象であった道真の霊は、朝廷による名誉回復(太政大臣の追贈など)を経て、次第に国家や人々を保護する慈悲深い神「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」へと変容していった。これが「天神信仰」の起源である。
鎌倉時代以降、道真が生前、比類なき学者であり文人であったことから、天神信仰は「怨霊を鎮めるための信仰」から、詩歌や書道、そして「学問の神」としての信仰へとその性質を大きく変化させた。中世には武士や禅僧の間でも尊崇され、江戸時代に入ると寺子屋の普及とともに庶民の間にも天神信仰(天神講)が深く定着し、現在に至るまで受験生などの信仰を広く集め続けている。